REVIEW

書評

『ウイニング・アグリー 読めばテニスが強くなる』 (ブラッド・ギルバート/スティーブ・ジェイミソン共著 宮城淳訳)

2024.03.29 / 長池達郎(テニス偏愛編集者)

アガシを世界一に導いたギルバート流「勝利の方程式」

「『ウイニング・アグリー』は、テニスの試合からさらに多くのことを引き出すまったく新しいアプローチです。私がテニスのプレーを学んでいるときにそれがあればよかったのにと思います」(ジム・クーリエ)

本書の英語版が刊行されたのは1994年。今から30年も前になるが、内容は実にユニークで読み応えがあり、今、読んでも古めかしく感じることはない。原題は「WINNING UGLY」。「泥臭く勝つ」とか「なりふり構わず勝つ」というような意味になるだろうか。要するに「カッコよさ」や「スマートさ」「豪快さ」とは対極にあるプレースタイルの意義を論じた本。現在までに12以上の言語に翻訳され、世界で100万部以上売れている。テニス本としては驚異的なベストセラーだ。

日本語版は既に絶版になっているようだが、2013年に刊行された英語版の第3版では、ロジャー・フェデラー、ノバク・ジョコビッチ、セリーナ・ウィリアムズ、アンディ・マレーなどの戦略から導き出されたヒントを含む序章に改訂されるなど、マイナーチェンジを施しつつロングセラーとなっているようだ。

日本語版には「ウイニング・アグリー」に加え、「読めばテニスが強くなる」という原書にはないサブタイトルがついている。しかも、装幀では「ウイニング・アグリー」よりも、「読めばテニスが強くなる」のフォントの方が数倍大きい。これはテニスがうまくなりたい、試合に勝ちたいという願望を抱く週末プレイヤーからトーナメントプレイヤー、テニス・インストラクターまで幅広い層を取り込むべく版元が企図した営業政策的なタイトルであり、デザインなのだろう。

コーチとしての神通力は今も健在

このミリオンセラーの著者であるブラッド・ギルバートは、世界ランク最高4位の経歴を持つアメリカの元トッププレイヤー。ビッグサーブや強烈なストロークがあるわけでもなく、華麗なネットプレーがあるわけでもない。1988年のソウル五輪では銅メダルを獲得、グランドスラムではウィンブルドンと全米のベスト8が最高。一言でいうと、「好成績を収めているが、実に地味な選手」だった。時々、ジョン・マッケンローやジミー・コナーズ、ピート・サンプラスといったビッグネームを破る番狂わせを起こす「ジャイアントキラー」であったが、スーパーショットを繰り出す劇的な試合というよりも、いつの間にか勝っていたというような試合が多かった。因みに、セイコースーパーテニスやジャパンオープンなどで度々来日しているため、日本のオールドファンには認知度が高い。

そんなギルバートの転機となったのは、1994年、彼がまだ現役を退く前にアンドレ・アガシのコーチに就任したこと。アガシはギルバートの指導を受けるや、その年の全米オープンで初優勝を飾り、世界ランクも初めて1位になるなど急上昇を遂げ、ギルバートの手腕にも注目が集まった。2002年に二人の「師弟関係」を解消するまでギルバートはアガシを6つのグランドスラム・タイトルとソウル五輪の金メダル獲得に導き、テニス界最高のコーチの一人として認知されるようになった。アガシ以外にもアンディ・ロディックを世界一に導き、アンディ・マレーや錦織圭のコーチを務めた時期もある。

そして今またギルバートは脚光を浴びている。2023年8月、アメリカ期待の新星、ココ・ガウフの担当コーチに就任するや、ガウフは直後のトーナメントで2勝、同年9月の全米オープンではメジャー初優勝と快進撃を続け、改めてその指導力に注目が集まっている。

トッププロとの対戦を通じて得た教訓とエピソード

本書が刊行されたのは、ギルバートが正式に引退する4年前、アガシの指導を始めた同じ年のこと。本書は発売後ほどなくして英語圏で話題となり、テニス本では異例のベストセラーになった。その評判は日本にも伝わり、筆者もその翻訳が出るのを首を長くして待っていた。日本語版が発売されたのはそれから約3年後の1997年。発売されるやすぐに購入し、読み始めた。読み進めるとページを繰るのが止まらない。期待以上の面白さだった。

プロローグから引き寄せられる。ATPファイナルズ(男子プロテニス協会の年間ポイントランキングの上位8名のみが出場できる年末開催の大会)の前身にあたるナビスコマスターズ(当時はポイントランキング上位16名が出場)の1回戦、当時、世界ランク2位で前年の同大会優勝者であるジョン・マッケンロー対ギルバート戦でのこと。ギルバート曰く「彼が最も毛嫌いし、そのプレースタイルを軽べつさえしている男」に負けそうになっていたマッケンローは怒り心頭に発していた。コートチェンジの際には、ギルバートに向かって、「お前は最低だ! 最低最悪だ!!」と口走る。ついには、ラインジャッジの機械や主審に文句を付けたり、観客にまで言いがかりをつける始末。結局、マックはそれまで7回の対戦で全勝し、わずか1セットしか取られたことがなかったギルバートに初めて土をつけられた。

ギルバートはここで「なぜこの試合に勝てたのか、これからゆっくりお話しする」と期待感を高めると共に、「体力的、技術的なトレーニングなどしなくても、今の君の実力で20%は勝率をアップさせられるはずだ」と、手軽にできそうなダイエット法に飛びつく人々を誘うような殺し文句をちらつかせつつ、以下の言葉でプロローグを締めくくる。

「『何が何でも勝ちたい』という情熱を持っている君のために、賢いテニスの勝ち方を伝授しよう」

週1プレイヤーからトーナメントプレイヤーまで、「勝ちたい」意欲にかられた読者を“釣る”ような、ある意味、香具師(やし)のような物言いだが、つかみとして実にうまい。

筆者は当時、テニスは週末に楽しむだけで他に上達する努力をほとんどしていなかった物ぐさプレイヤーだったが、「これを読めば、見違えるようなプレイヤーに変貌できるのではないか」と期待に胸が膨らみ、身近な上級者を破る自分の姿を夢想すらした。なにせ「トレーニングなどしなくても勝率をアップできる」と著者が豪語するのだから。

カッコ悪くても勝ちたいなら、カッコ悪くなればいい

こうしたプレイヤーのモチベーションをかきたてる魅惑的な言葉が次々に出てくる。これが本書の吸引力の強さの源となっている。選手に指導を施す際にもギルバートは、このような表現の巧みさや説得力のある言葉で選手にプラス思考とやる気を醸成しているであろうことが容易に想像できる。

ブラッドの言う「賢いテニスの勝ち方」とは何なのか。それは、①自分のチャンスを認識すること、②チャンスを生かす方法を的確に分析すること、③ベストなオプションを選択し、それを使ってチャンスを生かすことの3つだ。

その具体例として彼は1989年の全仏オープン準決勝でケイレンを起こしたマイケル・チャンがイワン・レンドルに対してアンダーサーブを打ったシーンを挙げる。もちろん、それがこの試合の勝敗を決した決定的な要因というわけではないが、結果的にチャンはレンドルを破り、決勝進出を果たし、全仏史上最年少の優勝者となった。

この試合を観ていたマッケンローは「チャンはそこまでして勝ちたいのか。テニスプレイヤーとして見苦しい」と酷評したが、ブラッドに言わせると、「審判に向かってどなり散らす(マッケンローのこと=筆者注)ほうがよっぽど見苦しい」となる。「とにかく、チャンは小さなチャンスを見逃すことなく勝利へとつなげたのだ」と称賛する。

テニスに美学を求めるマッケンローと求めない(?)ギルバート。対照的な二人はよほど馬が合わないのか、本書では度々、マックのエピソードがシニカルに語られる。

本書のキーになるのは、次のギルバートの言葉だ。

「実はテニスプレイヤーのほとんどが、カッコよく勝つことをイメージしている。カッコよく勝つことしか考えていないために、自分が勝てるチャンスをつぶしているということに気づかないのである。カッコ悪くても勝ちたいのなら、カッコ悪くなればいいのだ」

要するに、「カッコよく勝つ」という「邪念」を捨て、勝利に執着し、勝てる確率の高いテニスをすること。それが彼の経験則から導かれたブラッド流の「勝利の方程式」だ。

理詰めでテニスをする

本書のテーマは極論すると、「理詰めでテニスをする」ということ。エースを取る快感や相手をねじ伏せるような剛球を追い求めるのではなく、相手のプレースタイルや癖、弱点、自分の調子を的確に分析、成功率の高い戦法を選択し、戦うことを提唱する。それは正にギルバートのプレースタイルそのものであり、彼がコーチを務める選手へのコーチングの基盤になっているものであろう。

叙述スタイルは実にユニークでエンタメ性に富み、説得力がある。勝つためには何が必要か、試合前の準備から試合中に頭を使うことや対戦相手のタイプ別攻略法などを伝授していくのだが、自分の試合やトップ選手の試合を題材にして読者の興味をそらさせない進行で解説する。

たとえば、「レトリーバー(しこり屋)」対策を論じる項では、ギルバートはその代表例としてマイケル・チャンを挙げる。チャンのような選手と対戦する時は、「成功率の低い難しいショットは絶対に打たない」ことが肝要だと説く。レトリーバーはしつこく返球を続けることで、相手が無謀なショットを打ってくることを狙っているのであり、その術中にはまってはいけないという。また、隙をみてネットに出たり、相手をネットにおびき出したりして、単調な打ち合いを回避し、ラリーの主導権を握る重要さを強調する。実際、この方法論でブラッドはチャンに勝ったと語る。

とはいえ、こうしたレトリーバー対策は決して独創的なものではない。少なからぬ一般プレイヤーも実践しているであろうことを元トッププロのギルバートが提唱、補完したに過ぎないとも言える。しかし、トッププロが試合で実践し、勝利したという実例を示されると説得力が違う。

もちろんブラッド独自のユニークな見解もある。その一例が「セットアップポイント」を重視するというコンセプトだ。セットアップポイントとは、0-30、30-0、15-30、30-15、30-30、デュースという、どちらかの選手が次のポイントを取ればゲームポイントになる可能性があるシチュエーションを指す。

なぜセットアップポイントを重視するのか。ギルバート曰く、「セットアップポイントは野球でいうシングルヒットのようなもので、1本で得点することはできないが、いくつかのチャンスが重なって得点に結び付き、たくさんのヒットを打ったチームが勝つのである」という。つまりセットアップポイントがヒットで、ゲームを取ることが得点というわけだ。実際には、より多くのヒットを打ったチームが負けるケースもあるわけだが、野球にたとえて説明されると、野球好きの多い日本人には理解しやすい。こうしたアナロジーの表現も面白い。

他にも前日の準備からウォーミングアップではどんなことをすべきか、スポーツタオルの使い方、ケイレン予防の特効薬など、微に入り細に入り、至れり尽くせりで勝つためのノウハウを披瀝する。本書を「バイブル」として崇めるテニス選手やインストラクターがいるというのもうなずける。メンタル面での考察では「怒りをコントロールする方法」という項があり、ブラッドが勧める怒りへの対処法はテニスをする人に限らず有益ではないかと感じた。

紙幅が割かれているのは、試合に勝つためのノーハウだけではない。他にもマッケンローやアガシ、サンプラス、レンドル、ベッカー、エドバーグらのエピソードを交えた選手評も盛り込まれている。こうした選手の鋭い分析力があるからこそトッププロのコーチとして大きな成功を収め、また、ESPN(スポーツ専門の米国テレビチャンネル)で長年、解説者を務めてこられたのだろう。ブラッドの卓抜な戦術眼と鑑識眼を明確に示してくれる本書は、世界一のコーチングの一端を垣間見るには最適なテキストと言えよう。

『ウイニング・アグリー 読めばテニスが強くなる』
ブラッド・ギルバート/スティーブ・ジェイミソン共著/ 宮城淳訳
出版社:日本文化出版
発売日:1997年10月12日
単行本:379P
ISBN 978-4-890-84022-9

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