『ノバク・ジョコビッチ伝』(クリス・バウワース著/渡邊玲子訳)
「ゴールデン・チャイルド」はいかにして世界一になったのか
名伯楽に見出されたのはわずか5歳の時
2023年の全米オープンはノバク・ジョコビッチのグランドスラム(以下、GS)通算24回目となる優勝で幕を閉じた。これで女子のGS最多優勝記録を持つマーガレット・スミス・コートに並び、男女を通じ1位タイとなった(男子では既に単独1位)。17年の全豪オープンでコートに次ぐ23回目の優勝を果たしたセレナ・ウィリアムズが1位タイ以上となることに強い意欲を燃やしながら、達成できずに22年に引退したことを思うと、ジョコビッチの偉業の重みが増す。
36歳になっても衰えを見せず、さらなる記録更新の可能性も十分、「テニス史上最高の選手」の称号を確固たるものにしようとしているジョコビッチ。この成功を彼がわずか5歳の時に予言した人物がいる。彼女の名前はエレナ・ゲンチッチ。ユーゴスラビア・テニス協会ジュニア部門の監督を務め、モニカ・セレシュやゴラン・イワニセビッチ(現・ジョコビッチのコーチ)らのジュニア時代の育成コーチだった人物だ。
ゲンチッチとノバク少年との出会いは『ノバク・ジョコビッチ伝』に詳しい。著者は『ロジャー・フェデラー伝』(実業之日本社)の著作で知られるクリス・バウワース。本書はいわゆる「公認本」ではない。ジョコビッチは引退後に自伝を出す計画があるという理由でバウワースの自伝刊行許可申請に「NO」の回答をしている。そこでバウワースはジョコビッチの周辺取材を進めて本書をまとめた。
ゲンチッチにはベオグラードで2時間半にわたり話を聞いている。テニスプレイヤー・ジョコビッチの黎明期を知る数少ない当事者の証言を聞けたのは貴重な機会となった。ノバク少年とゲンチッチが出会ったのは、コパオニクというセルビアとコソボの国境近くの山岳地帯にあるハイキングやスキーに適した風光明媚なリゾート地。ここで彼女はテニスのサマーキャンプの運営を委託され、ジョコビッチの父、スルジャンはこの地でピザ屋とブティックを営業し、夏と冬の間だけジョコビッチ一家はこの地に滞在していた(それ以外の時期はベオグラードに居住)。
ある日、ゲンチッチはサマーキャンプの練習を金網越しに熱心に見つめる少年に気付く。その少年がジョコビッチで、当時は5歳でテニスは初心者レベルだった。少年に興味を抱いたゲンチッチがコートに招き入れ練習させたところ、並々ならぬ運動神経とセンスの良さを示す。驚いた彼女はその日、練習を終えるとコートの向かいにあるピザ屋を訪れ、両親にこう宣言したという。
「あなたがたのお子さんはゴールデン・チャイルドです。こんなに才能に恵まれた子は、8年前まで教えていたモニカ・セレシュ以来です。17歳になる頃には世界のトップ5に入るでしょう。この子は私が責任を持って、世界一にさせます」
ジョコビッチが世界ランク5位に到達したのは19歳の時だが、その後、1位になり、現在ではテニス史上最高の選手との評価を高めている。ゲンチッチの慧眼(けいがん)には驚くばかりだが、奇跡的な出会いで名伯楽に見出されたことには、ジョコビッチの強運を感じざるをえない。本書ではこの今は亡き(2013年6月に死去)恩師の証言がノバクのサクセスストーリーを理解するのに重要なカギとなっている。
グルテンアレルギーを解明した医師
ジョコビッチには健康問題がずっとついてまわっていた。ゲンチッチは早くからノバクのアレルギー体質に気付いた。花が咲き始める春になると、いつも花粉症を発症していたからだ。彼女はノバクを医者に連れて行き、診断と治療を受けさせ、場合によっては鼻の手術を受けさせることもあった。素晴らしい学習能力と優れた運動能力を持っているにもかかわらず、食が細く、体質に問題を抱えていることをゲンチッチは危惧していた。
今ではテニスファンのみならず、多くの人々に知られるようになったジョコビッチのグルテンアレルギーがどのようにして明らかになったのか、その「発見」の経緯も丹念に取材し記述している。詳しくは本書を読んでいただくとして、セルビア人医師、イゴール・チェトイェビッチがノバクに検査を行い、検査結果からグルテンアレルギーの診断を下し、食事療法に取り組んでいなかったならば、一体どうなっていただろう。
2008年から09年にかけて、ジョコビッチは試合中に原因不明の咳や消耗に見舞われ、メディカルタイムアウトや棄権の回数が急増した。GSで4回、デビスカップで2回、ATPツアー・マスターズ1000で2回、それ以外のツアーで3回棄権をしていた。これはトップ10の選手(当時、ノバクは3位と4位を行き来していた)の中で抜きん出た数字だった。ジョコビッチがチェトイェビッチの指導で食事療法に取り組むようになったのは2010年のこと。もし原因究明が長引いていたら、2023年時点でノバクのGS優勝記録は24に達していなかった可能性もあった。ノバクにとってチェトイェビッチとの出会いはゲンチッチ同様に大きな飛躍の転機となった。
セルビアが抱える複雑な歴史と国民性
ジョコビッチの故国、セルビアの複雑な歴史や文化、国民性についても多くの紙幅が割かれている。6世紀もの間、オスマントルコの支配下に置かれ、ユーゴスラビアの大部分の歴史はロシアからの脅威との戦いだった。ソ連崩壊後の1990年代には紛争が続き、コソボ紛争ではNATO(北大西洋条約機構)の空爆を受けるなど、戦禍に見舞われた。被害者意識が強いとされるセルビア国民は英雄を希求する気持ちが強い。世界ナンバーワンに君臨する絶対王者、ジョコビッチは最大の誇りだ。セルビアではジョコビッチのGSの試合時間には通りは空っぽになり、みんなテレビの前で応援するのだという。2011年、ウィンブルドンで初優勝した時には、ベオグラードの共和国広場で約10万人のファンがヒーローの凱旋を出迎えたが、その熱狂は冷めるどころか、益々高まっている。
著者曰く、スイスにおけるフェデラーと、セルビアにおけるジョコビッチには明確な立場の違いがあるという。スイスではアスリートよりもタレントの方を尊重し、アスリートはセレブに含まれない。フェデラーは「(地元の)バーゼルでは呼び止められずに歩くことができる」と言う。一方、ジョコビッチはというと、「セルビアで現世の聖人になりつつある」との著者のレトリックはやや誇張に過ぎるが、テニス界の生けるレジェンドとなった彼が母国ではそれ以上の存在になっているのは察せられる。
「ビッグ4」(フェデラー、ナダル、ジョコビッチ、マレー)の成り立ちについても興味深いエピソードが紹介される。フェデラーとナダルの「ビッグ2」時代、まだ2人との間に壁を感じていたノバクは、いかにしてそれを乗り越えて「ビッグ3(その後、ビッグ4)」の時代が到来したのか。ビッグ2に対して「自信が持てなかった」というジョコビッチが心理的障壁を乗り越えて2人に対する苦手意識を克服した2011年の快進撃を詳述している。
通読して印象深いのは、ジョコビッチは何か天命に導かれるように、重要な節目に、最も適切な指導を与えられる人物と出会い、それによって世界一への道が切り開かれていったということだ。ジョコビッチの二人の恩人の存在が印象的な本書は、ジョコビッチ側の公認が得られず、独自の本人、家族、チームスタッフへの直接取材はほぼできなかった。それもあって、驚くべきインサイドストーリーはやや希薄だが、その分、批評的なスタンスを持って、時には辛口の論評も加え、提灯的な内容になっていない。母国の歴史や時代背景への目配りも行き届いており、バランスの取れた内容になっている。ジョコビッチが引退してから刊行されるであろう「公認本」が彼の全人像を知るには最適になるのかもしれないが、現時点では、本書が歴代ナンバーワンと言われる選手のバックグラウンドを知るには十分な一冊だと言える。
『ノバク・ジョコビッチ伝』 クリス・バウワース著/渡邊玲子訳 出版社:実業之日本社 発売日:2016年4月28日 単行本:330P 価格:2,090円(税込) ISBN:978-4-408-45595-2