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コラム

2026ウィンブルドン・レビュー ロイヤルボックスの感涙を呼んだ新女王の誕生

2026.07.31 / 山口奈緒美(テニスライター)
NOSKOVA, Linda CZE [9] def MUCHOVA, Karolina CZE [10] 6-2 5-7 6-3 Final Womens Singles 11 July 2026 THE CHAMPIONSHIPS WIMBLEDON 2026 The All England Lawn Tennis Club WIMBLEDON SW19 5 BN U.K. Photographer / MANO,Hiromasa MANNYS PHOTOGRAPHY of Tokyo mannys@mannysjp.com

史上初のチェコ対決となった女子決勝

人口約1000万の国からウィンブルドンの決勝に辿り着いた二人の女性が戦いを終え、別々の涙が人々の胸を締めつけた。勝者と敗者、しかし歩んできた道とそこに寄り添ってきた人を思う涙であることは同じだった。

ウィンブルドンの新女王に上り詰めたリンダ・ノスコバは、落ち着いたトーンで声を震わせながらチャンピオンスピーチをし、天を仰いで小さくキスを投げた。

「最後にもうひとり、感謝したい人が……それは母です。彼女がいなかったら私はここに立っていなかった。ありがとう」

まだ21歳のノスコバは、ガンで闘病中だった母を、2年前のまさにウィンブルドン開幕の前日に亡くしたのだ。

ロイヤルボックスから見つめていたレジェンドたちの顔も涙で歪(ゆが)んでいた。最前列には、旧チェコスロバキア時代の連覇を含めて9回のウィンブルドン優勝を誇るマルチナ・ナブラチロワがいて、斜め後ろには2011年と14年を制したペトラ・クビトバの姿もあった。この世にいれば、ヤナ・ノボトナの顔もきっとその中にあっただろう。1998年に3度目の決勝で悲願を達成したノボトナは、やはりガンのため2017年に亡くなった。現役チェコ選手の中にも、23年優勝のマルケタ・ボンドロウソバ、翌24年優勝のバルボラ・クレイチコバがいる。

記録上は「史上初のグランドスラム女子シングルス決勝でのチェコ対決」だったが、ウィンブルドンだけでも1986年の決勝でアメリカ亡命後のナブラチロワと旧チェコスロバキアのハナ・マンドリコワが戦い、97年の決勝でノボトナを破ったスイスのマルチナ・ヒンギスも生まれはチェコスロバキアだ。チェコの血統は記録以上に偉大である。

子供の頃のスターは時代的にクビトバだったというノスコバは、「小さな国だけど、大きなことを成し遂げた人たちがいることで、自分もできると感じられる」と継承の力を信じる。23年のローラン・ギャロスで決勝に進出したカロリーナ・ムチョバも、ノスコバにとっては力を与えてくれる存在だった。

女子決勝のロイヤルボックスにはキャサリン妃(前列中央)をはじめナブラチロワ(右隣)、クビトバ(前から2列目、右から2人目)、マリア・シャラポワ(同4人目)の姿も。前列左端はビリー・ジーン・キング 撮影:真野博正

翌年のパリ五輪でダブルスを組んで親しくなったムチョバが、この日の決勝の相手だった。元プロサッカー選手の父を持つムチョバに対して、ノスコバはスポーツエリートの家族を持つわけでも、裕福な家庭の出でもなかった。父は鉄道会社で働き、母は衣料品店を経営していたが、互いに再婚同士で、「ふたりとも財産を離婚相手に残していたため無一文で、食うにも困るほど貧しかった」と、父ドラヘクは回想する。

ささやかな楽しみのために夫婦で始めたテニスで、その後生まれてくるリンダの才能は花開くが、娘の夢を応援することは貧しい夫婦にとって容易ではなかった。24年の全豪オープンで当時女王のイガ・シフィオンテクも破ってグランドスラム初のベスト8に進出したとき、母のイヴァナはいくつかのメディアのインタビューに応じ、そこで苦労話を語っている。

「リンダが自宅から離れたクラブに拠点を移したとき、私は仕事を辞め、夫と離れて娘に同行し、日雇いの仕事をいろいろとやりながらサポートに努めました」

娘の性格については「冷静沈着で、プレッシャーなんて気にしないのよ」とメンタルの強さをほめた。それ以降、グランドスラムで4回戦を突破したことがなかったノスコバだが、この決勝はまさにその強さを証明する戦いぶりだった。

ノスコバは四大大会初めての決勝進出とは思えない落ち着いたプレーで栄冠を手繰り寄せた 撮影:真野博正

「絶対に大きい方を持って帰る」

4回戦以降、クレイチコバ、大坂なおみ、ココ・ガウフと、グランドスラムの複数回優勝者を次々と倒してきたムチョバを相手に、第1セットは92%という高いファーストサーブでのポイント獲得率でブレークポイントすら握らせず、ベースラインからレーザーのようなショットを放ってラリーを支配した。6−2でセットを先取すると、第2セットも第6ゲームをブレークし、第8ゲームのムチョバのサービスゲームで3度マッチポイントを握る。しかし、栄光の瞬間を前にしてプレーが揺らぎ出し、ムチョバの硬軟自在の揺さぶりの中でこれらを逃した。ここから5ゲーム連取を許す間にさらに2回マッチポイントが訪れたが、結局ファイナルセットに持ち込まれた。

流れはムチョバに傾いていた。しかし、トイレットブレークで心を整えたノスコバは、自滅という悲劇のシナリオを破り捨て、最終セット開始から3ゲームを連取。第2セット後にコートを離れるときに2つのトロフィーが目に入り、「絶対に大きい方を持って帰るんだ」と自分に言い聞かせたというが、決意の通りにビーナス・ローズウォーター・ディッシュを自分のものにした。

実はチェコのテニスコートはほとんどがクレーだという。実際、ウィンブルドンを制したチェコの女子の多くは、先にローラン・ギャロスで名を成している。ボンドロウソバは2019年のファイナリストで、クレイチコバは21年に優勝。その年にジュニア・チャンピオンに輝いたのがノスコバだった。クレーで培(つちか)った創造性が芝での成功に関係するのかもしれない――ノスコバ自身はそのような推測もしたが、下を見ればチェコにはトップ50に20歳以下が3人いて、その中には全仏ジュニアの単複二冠の選手もいる。伝統を築いてきた豊かな土壌は痩せる気配がない。

悲願の優勝まであと一歩届かなかったムチョバ。第3セット序盤でいきなりブレークを許し、主導権を握れないままノスコバに押し切られた 撮影:真野博正

フットワークの課題を克服した大坂

ところで、ノスコバの優勝を「セプタム(鼻ピアス)をした初めてのウィンブルドン・チャンピオン」と着目した海外のファッション誌があったが、やはりファッションでは大坂のユニークな存在感が光った。今回も許される範囲でアイデアの限りを尽くし、着物をモチーフにしたドレスで登場。最も保守的だと思われているウィンブルドンのファンが、最も大坂の入場を楽しんでいるようにも見えた。ウェアの“ホワイトルール”は厳格だが、制約の中での試みに対しては寛容だ。ただし、「何をするか」ではなく、「誰がするか」が重要なファクターだが--。

ウィンブルドンでは過去3回戦が最高の大坂だが、ファンの歓迎に応えるように、今年3連敗中の女王アリーナ・サバレンカをついに破ってベスト8入りした。赤土に続いて芝でもフットワークの課題を克服し、かつてのぎこちなさは消え去った。大坂自身のキャリアにとって大きな一歩となったが、ウィンブルドンのベスト8はまた格別の意味を持つ。「ラスト・エイト・クラブ」の存在があるからだ。

男女シングルスのベスト8以上、ダブルスのベスト4以上に一度でも入った選手は、このクラブへの入会が認められ、生涯にわたってウィンブルドンの会場へ自由に出入りできるほか、無料の入場チケット、専用ホスピタリティ・スイートの利用、センターコートやコート1のチケットの優先的手配などの特典がある。記者会見でそのことを知らされた大坂はちょっとはしゃいだ気分を隠せなかった。

「小さなピンをもらえるだけだと思ってた。いつでも好きなときに来て練習していいっていう、それも特典?」

残念ながらそれはオール・イングランド・クラブの正会員のみに許されたことで、優勝しなければ会員にはなれない。

「でもグラウンドチケットを毎年もらえるよ」と教える記者に、「無料で?」と確かめると、「それはステキ。他にどんな特典があるのか、あとでググってみる」と微笑んだ。

4回戦で第1シードのサバレンカを破り、喜びに浸る大坂なおみ 撮影:真野博正

女子では大坂のほか、ベスト4のガウフとマルタ・コスチュクも新たに入会。一歩届かなかったものの、男女を通じてフィリピン人初のグランドスラム・ベスト16入りを果たした21歳のアレクサンドラ・イーラの躍進は触れておきたい。果敢にウィナーを狙うアグレッシブなプレースタイルで、ディフェンディング・チャンピオンのシフィオンテクを3回戦で破って伝統の芝に新しい風を吹き込んだ。

3回戦で第3シードのシフィオンテクを破り、4回戦で24年の準優勝者、ジャスミン・パオリーニに敗れはしたものの激闘を繰り広げたイーラ。その果敢な攻撃的テニスは鮮烈な印象を残した 撮影:真野博正

2026ウィンブルドン女子シングルス決勝

〇ノスコバ 6-2、5-7、6-3 ムチョバ

                      ◇

SINNER, Jannik ITA [1] def ZVEREV, Alexander GER [2] 6-7(7) 7-6(2) 6-3 6-4 Final Mens Singles 12 July 2026 THE CHAMPIONSHIPS WIMBLEDON 2026 The All England Lawn Tennis Club WIMBLEDON SW19 5 BN U.K. Photographer / MANO,Hiromasa MANNYS PHOTOGRAPHY of Tokyo mannys@mannysjp.com
正確無比で破壊力のあるストロークとサーブに加え、ディフェンス力にますます磨きがかかったシナー。鉄壁なプレーの牙城を脅かすのは復帰が待たれるアルカラスしかいないのだろうか 撮影:真野博正

王者シナー、盤石の連覇達成

このラスト・エイト・クラブ、男子ではアレクサンダー・ズベレフのほか、ノーシードから勝ち上がったドイツのヤン=レナード・シュトルフと地元イギリスのワイルドカードのアーサー・フェリーが新メンバーに該当する。ズベレフが初のベスト8以上とは意外だが、ベスト8入りそのものがあまりにも意外だったのがフェリーだ。この23歳はさらに準決勝まで駒を進めて現地を大いに沸かせたが、圧倒的な2強時代だからこそ起きた出来事だったに違いない。

カルロス・アルカラスの不在で生まれる“隙”は大きい。第4シードに繰り上がったベン・シェルトンが1回戦で敗退し、フェリーはこの山から勝ち上がった。この一角では、20歳のヤクブ・メンシクや22歳のアーサー・フィスなど若いシード勢が2回戦までに敗れ、フェリーは準々決勝で全仏オープン準優勝のフラビオ・コボッリに会うまでトップ30には当たらなかった。しかも対戦した4人のうち3人が100位以下だ。コボッリを倒したのは確かに金星と言えるが、ここまでくれば失うものは何もなく、観客の後押しというアドバンテージも大きかった。

そんなフェリーの快進撃を止めたのは、1カ月前のパリで悲願のグランドスラム・タイトルを手に入れたズベレフだったが、グランドスラム初優勝に続くグランドスラムで決勝に進んだ選手は、オープン化以降2人しかいない。アンディ・マレーとダニール・メドベージェフだが、彼らとの共通点はグランドスラム初優勝までに複数回決勝で敗れたということである。

「一度勝てば勝ち方がわかるし、もう一度やれるという自信が生まれる」

そう話すズベレフはプレッシャーから解き放たれたように見えたが、マレーもメドベージェフも果たせなかった初優勝からのメジャー2大会連続制覇には届かなかった。

立ちはだかったのは連覇を狙う王者ヤニック・シナーだった。全仏オープンで衝撃の2回戦負けを喫し、初めて芝の前哨戦を戦わずにぶっつけ本番でウィンブルドンに臨んだ王者は、初戦でミオミル・ケツマノビッチにフルセットに持ち込まれるが、これを乗り切ると、あとはセットを落とすことなく、準決勝ではグランドスラムV25の記録に挑み続ける39歳のジョコビッチさえもストレートセットで封じた。

決勝は第1セットをズベレフがタイブレークで奪ったが、第2セットは逆にシナーがタイブレークをものにし、その勢いで第3、第4セットと連取した。最後の3ポイントは、絶妙のドロップショットを含めた3連続ウィナー。強靭(きょうじん)でしなやかなシナーの強さを凝縮したような畳みかけで、終わってみれば一度もブレークを許さず、ブレークポイントを握られたのもたった一度だった。

SINNER, Jannik ITA [1] def ZVEREV, Alexander GER [2] 6-7(7) 7-6(2) 6-3 6-4 Final Mens Singles 12 July 2026 THE CHAMPIONSHIPS WIMBLEDON 2026 The All England Lawn Tennis Club WIMBLEDON SW19 5 BN U.K. Photographer / MANO,Hiromasa MANNYS PHOTOGRAPHY of Tokyo mannys@mannysjp.com
アルカラス不在とはいえ、グランドスラム2大会連続の決勝進出は特筆すべき成績。安定感を増したズベレフの快進撃はどこまで続くか 撮影:真野博正

二人のファイナリストが大会に払った敬意

オープン化以降男子10人目のウィンブルドン連覇、トータル5つ目のグランドスラム・タイトルを手にしたシナーは、優勝会見で報道陣を諭(さと)すように話した。

「5という数の話をしがちだけど、それは膨大な日々の中の5日間だ。その毎日を楽しみ、ベストを尽くそうとしていることがとても幸せなんだ。たとえ今日負けたとしても、素晴らしい一日になったと思う。グランドスラムの決勝を戦うことはそれ自体とても稀なことで、特別なことだから」

シナーに10連敗を喫したズベレフは、その「特別な日」を初めてウィンブルドンで経験し、表彰式のスピーチの最後でロイヤルボックスの王族に向けて思いを届けた。

「このセンターコートでプレーすることは特別なことで、それはロイヤルボックスの存在があるからこそです。殿下、そして皆様の前でプレーできることは本当に光栄です」

ウィンブルドンと王室の深い関係は120年近くに及ぶ。プレーを楽しみ、ボールパーソンを労(ねぎら)い、トロフィーを手渡す――それは緑の芝や白いウェアと同じように当たり前の光景であると同時に、連綿と受け継がれてきた特別な関係だ。人々が共有する敬意と親愛は血統に対して生まれるのではない。

変わらないものを尊び、変わりゆくものを受容しながら、今年も特別な2週間が幕を閉じた。

表彰式でフォトセッションに応じるシナー(左)とズベレフ(右)。今年6月の全仏でグランドスラム初の優勝を遂げたばかりのズベレフは、過去3回の準優勝時に比べ、心なしか悲壮感が薄れているように感じられた 撮影:真野博正
予選からベスト16まで勝ち進んだ望月慎太郎。4回戦ではシナーにストレートで敗れたが、第2セットをタイブレークに持ち込むなど、センターコートを大いに盛り上げた 撮影:真野博正

2026ウィンブルドン男子シングルス決勝

〇シナー 6-7(7-9)、7-6(7-2)、6-3、6-4 ズベレフ

バナー写真:表彰式でシャーレを掲げるノスコバ(上)。優勝が決まり、コートに倒れ込むシナー(下) 撮影:真野博正

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