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2024年全米オープン・レビュー パリ五輪の余波が誘発した番狂わせと新時代の予兆

2024.09.25 / 山口奈緒美(テニスライター)
イタリア人選手として初めての全米優勝者となったシナー 撮影:真野博正 (mannys@mannysjp.com) ©MANO,Hiromasa / Mannys Photography

SABALENKA, Aryna --- [2] def PEGULA,Jessia(USA)[6] 7-5 7-5 Final 06 Sep. 2024 US Open 2024 USTA Billie Jean King National Tennis Center NEW YORK, NY USA Photographer / Hiromasa MANO (mannys@mannysjp.com) ©MANO,Hiromasa / Mannys Photography

序盤で消えたパリ五輪のファイナリスト

特別で特殊なオリンピック・イヤーであったことが、シーズン最後のグランドスラムにいくつかの波乱を起こさせ、ドラマも見せた。4年に1度のイベントというだけではない。それがクレーというサーフェスで行われたことが、「特殊」な状況を作り出した。通常4月からのクレーシーズンのあと芝のシーズンがあり、夏の北米ハードコート・シーズンへと移行していくが、2024年はウィンブルドンのあとにもう一度、オリンピックのためにローランギャロスに戻ることになった。過去にハードコート以外のサーフェスが用いられたオリンピックとしては、ウィンブルドンを舞台にした12年のロンドン大会があったが、開幕はウィンブルドンが終わった3週間後で、トッププレーヤーの多くは他の大会を挟まずに臨んだ。

トッププレーヤーにとって例年とは異なる調整が求められた結果、男子はウィンブルドンとパリ五輪で決勝を戦った2人が大会序盤で姿を消した。全仏とウィンブルドンを連覇したカルロス・アルカラスは、2回戦でオランダの74位ボティック・ファン・デ・ザンツフープに1-6、5-7、4-6というまさかのストレート負け。ついに五輪で快哉(かいさい)を上げたノバク・ジョコビッチは、3回戦で28位のアレクセイ・ポピリンに4−6、4−6、6−2、4−6で敗れた。

3回戦でポピリン(右)に1-3で敗れ、ゲームセット後、握手を交わすジョコビッチ(左)。ジョコビッチが4大大会で4回戦に進めなかったのは、2017年の全豪(2回戦敗退)以来となる 撮影:真野博正

ジョコビッチの敗退は衝撃的ではあったが、大会前からモチベーションの低下について危惧されていた。男女を通じて単独で史上最多記録となる25回目のグランドスラム優勝さえ、今のジョコビッチには十分な原動力にならないのではないか———それだけオリンピックでの金メダル獲得は、テニス生涯を賭けた大仕事だったことを皆知っていた。

テニス界のあらゆる記録を塗り替えてきた「史上最強の男」が、過去4度出場したオリンピックの成果は最初に出場した北京での銅メダルのみだった。ロンドンと東京では銅メダル決定戦で敗れている。それはジョコビッチが金メダルのみを欲していたこと、そしてモチベーションこそが彼のエネルギー源であることを物語る。パリ五輪で、16歳も若いアルカラスを7−6(7-3)、7−6(7-2)で破った決勝戦は、一打一打に魂を宿らせた“決闘”だった。

ミッション達成の余韻にひたるように、ゴールドカラーのバッグを携えてフラッシングメドウにやって来たジョコビッチは、グランドスラムでモチベーションが低下するなどありえないことだと外部の懸念を一蹴したが、敗戦のあとではこう告白した。
「金メダルのためにたくさんのエネルギーを使った。メンタル的にもフィジカル的にも疲れた状態でニューヨークに来ていたことは間違いない。そうは言ってもUSオープンだ。全力を尽くそうとしたけど、1試合目からまったく調子がつかめなかった」

一方、アルカラスのほうは落胆を引きずった。前哨戦となるマスターズ1000のシンシナティの初戦で敗れ、ニューヨークに入った。
「チャンスがあったのに金メダルを逃した。僕のキャリアの中でも本当に大事な決勝だったんだ。だってオリンピックは4年に一度だから。次にまたこんなチャンスがあるかどうかなんてわからないのに」

4年に1度というイベントは、1年に4回のグランドスラムを戦えるテニスプレーヤーに慣れない重圧をもたらす。銅メダリストのロレンツォ・ムゼッティを含め、3人のメダリストは皆3回戦までにコートを去った。 

21年ぶりのアメリカ勢の台頭

予想が困難になったドローから、21年ぶりに2人のアメリカ人男子が準決勝に勝ち上がった。21年前の2003年といえば、21歳になったばかりのアンディ・ロディックがグランドスラム初優勝を果たした年で、当時33歳のアンドレ・アガシとともに世代の異なる2人が準決勝に進出した。今回は26歳同士のテイラー・フリッツとフランシス・ティアフォー。ジュニア時代から鎬(しのぎ)を削ってきた仲だ。

予兆は2年前からあった。22年のインディアンウェルズでフリッツが初めてマスターズ1000のタイトルを手にすると、全米オープンでティアフォーが涙のベスト4進出。その全米の1回戦で予選上がりにまさかの敗退を喫したフリッツは、1年後の全米、さらに翌年の全豪、ウィンブルドンとたびたびベスト8までは駒を進めた。なかなか準々決勝の壁を越えられなかったが、ついに今回、優勝候補のひとりだったアレクサンダー・ズベレフを7−6(7-2)、3−6、6−4、7−6(7-3)の接戦の末に破った。ティアフォーはグリゴール・ディミトロフの途中棄権という思わぬかたちで準々決勝を突破。準決勝は幼馴染対決だ。これまで6勝1敗と大きく勝ち越しているフリッツが、フルセットの末にライバルを退け、06年に準優勝したロディック以来、アメリカ人男子として18年ぶりの決勝進出を果たした。

2022年はベスト4、23年はベスト8、24年はベスト4とこの3年間、全米では抜群の安定感を見せるティアフォー。来年の活躍も楽しみだ 撮影:真野博正

18年前、ロディックの前にロジャー・フェデラーが待ち受けていたように、フリッツには世界1位のヤニック・シナーが待っていた。シナーには大会直前にドーピング疑惑が持ち上がり、無実扱いとなった経緯が説明されても容易にはおさまらなかったが、非難と不満の声の中で勝ち進んだシナーのメンタルと軸のブレないプレーは流石だった。初めてグランドスラムの決勝を戦うフリッツに、シナーの逞しさを崩す力を発揮する余裕はなかった。サービング・フォー・ザ・セットを握った第3セットも締めくくれず、3−6、4−6、5−7のストレートで屈し、シナーが全豪オープンに続く2つ目のメジャータイトルを手にした。なお、シナーは扁桃(へんとう)炎のためオリンピックには出場していない。

ポイントを決めガッツポーズをするフリッツ。粘りは見せたが、シナーの鉄壁の牙城を崩すには至らなかった 撮影:真野博正

2003年のロディック以来の自国男子チャンピオンは誕生しなかったが、アメリカ男子の躍進を語るとき、もう一人、同世代のトミー・ポールを忘れてはならない。フリッツとポールはかつて全米ジュニアの決勝を戦い、勝ったのはフリッツだったが、「誰よりも才能が抜きん出ていたのはトミーだった」と明かす。しかしポールは自分でも認めるほどの「遊び人」で、プロになってからテニスに本気で取り組み始めるまでに時間がかかった。そのプロセスにおいて、22年のフリッツとティアフォーの活躍がもたらした影響は計り知れない。スターへの地位を高めていった仲間は天才肌のポールを刺激し、23年の全豪オープンでの準決勝進出にまでつながる。なお、今回ポールは4回戦でシナーに敗れた。

フェデラーがウィンブルドンで初優勝した03年から23年まで、毎年グランドスラム・チャンピオンの中にはビッグ3の誰かの名があったが、21年目にしてついに途絶えた。オリンピックのせいだったのか、確かな時代の変化なのか、奇しくも2つの「21年目」の出来事が生まれたことも印象的だった。

高い身長から豪快なジャンピング・バックハンドを放つシナー 撮影:真野博正

2024全米オープン男子シングルス決勝

〇シナー 6-3、6-4、7-5 フリッツ

                   ◇

SABALENKA, Aryna --- [2] def PEGULA,Jessia(USA)[6] 7-5 7-5 Final 06 Sep. 2024 US Open 2024 USTA Billie Jean King National Tennis Center NEW YORK, NY USA Photographer / Hiromasa MANO (mannys@mannysjp.com) ©MANO,Hiromasa / Mannys Photography
表彰式の壇上で優勝トロフィーを抱きしめて喜びをかみしめるサバレンカ 撮影:真野博正

女子金メダリストのチンウェンはベスト8で敗退

女子もオリンピックの影響は無視できないだろう。パリでは銅メダルに終わった女王イガ・シフィオンテクは、準々決勝でジェシカ・ペグラにストレート負けを喫した。これまでグランドスラムの準々決勝を突破したことがなかった30歳のペグラに対し、2セットで41本ものアンフォーストエラーをおかしたプレー内容はまったくシフィオンテクらしくなかった。それがオリンピックによる変則的なスケジュールのせいだったのかどうかについて、本人は「そう言い切れるだけの経験が私にはない。でも、いつもならこの大会の前に2つか3つのハードコートの大会に出るのに、今回はそれが1つ減ってしまった。準備の面で多少影響があったとは思う」と答えている。

金メダルを獲得したジェン・チンウェンのベスト8が、男女を通じてメダリストの中では一番の好成績だった。オリンピックの決勝後の会見で、「中国にとってはグランドスラムよりもオリンピックのほうが重要。だから私はどの大会よりもハングリーだった」と豪語したジェンの達成感を慮(おもんばか)れば、第7シードとして順当にベスト8まで進んだことはむしろ大健闘だった。

新女王争いはサバレンカが主役?

結局、決勝に進出したのは、オリンピックでは2回戦で敗れたペグラと、ウィンブルドンとオリンピックをケガで欠場したアリーナ・サバレンカだった。両者ともハードコート・シーズンで徐々に調子を上げ、シンシナティでは決勝を戦った。タイプの異なる二人がそれぞれの持ち味を発揮するラリー戦。第1、第2セットともに、サバレンカのサービング・フォー・ザ・セットからいったんは追いつく粘りを見せたペグラだが、そこからはサバレンカの勝負強さが際立った。

時折、激しいロングラリーを繰り広げ、会場を盛り上げたペグラだが、サバレンカの豪打に屈した 撮影:真野博正

2年連続のベスト4を経て2023年は準優勝したサバレンカだが、全米はもっとも悔しい思いを味わってきた場所だという。過去の無念も乗せて炸裂したウィナーの数は40本にも達し、圧倒的なパワーで両セットともタイブレークには持ち込ませなかった。

全豪での連覇に続く自身3つ目のグランドスラム・タイトル。ウィンブルドンとオリンピックの欠場との関連性については、「ウィンブルドンの直前にケガをしたせいで、オリンピックに出場するのは難しかった。このハードスケジュールの中では、何かを犠牲にしなくてはいけなかったから、私はオリンピックを犠牲にした。その決断に後悔はない」と語った。

ハードコートのグランドスラム優勝回数では、大坂なおみが現役選手の中でトップの4回を誇るが、出産後の大坂の調子がなかなか上がってこない中、サバレンカが新たなハードコートの女王としての地位を固めたことは間違いない。また、サバレンカとシフィオンテクの順位は変わらないものの、グランドスラムでの安定感にフォーカスすればシフィオンテクよりもサバレンカが上だろう。22年のウィンブルドン以降、出場したすべてのグランドスラムでベスト8以上に進出。それも、ベスト8は今年の全仏だけで、他はベスト4以上だ。サーフェスを問わない活躍は今の女子では他に類を見ない。90年代以降はセリーナ・ウィリアムズとマリア・シャラポワしか達成していない生涯グランドスラムにもっとも近い存在との評価も高まる。サバレンカ自身も、「私がどのサーフェスでもやれるということは去年証明できた。(全仏とウィンブルドンで)準決勝に進めたことは自分でもすごく感動した」と自信を見せる。

トップとの間に依然2000ポイントもの差があるのは、シフィオンテクがローランギャロスのほかにWTA1000のタイトルを4つ獲得したからだが、それらは24年シーズンの前半に集中している。そのペースは明らかに後半失速し、全仏オープン以降タイトルは1つもない。シーズン終盤戦から来年へ、女王争いはさらに白熱するのではないだろうか。

準々決勝でペグラに敗れ、全豪は3回戦敗退と2024年はハードコートのグランドスラム大会では、第1シードに見合った成績を残せなかったシフィオンテク 撮影:真野博正

チャレンジングな年のグランドスラムが終わった。結果は見ての通りだが、個々のチャレンジの成果が表れるのは少し先かもしれない。テニスはいつだって「次」を考えるのが楽しい。それは4年後ではなく、すぐそこにある。

2024全米オープン女子シングルス決勝

〇サバレンカ 7-5、7-5 ペグラ

バナー写真:イタリア人選手初の全米優勝者となり、トロフィーを掲げるシナー(上)。強烈なストロークとサーブでペグラを押し切ったサバレンカ(下) 撮影:真野博正

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