REVIEW

映画・ドラマ・ドキュメンタリー評

Netflixドキュメンタリー「ブレイクポイント:ラケットの向こうに」

2026.03.16 / 山口奈緒美(テニスライター)

ガールフレンドと手をつなぎ練習コートを移動するキリオス(左端) COURTESY of Netflix

次代を担う若きスーパースター候補生に密着、その舞台裏に潜入した興味深いルポ

新型コロナ禍に始まった撮影

世界最大の動画配信サービスNetflix(ネットフリックス)がテニスツアーの舞台裏に迫るドキュメンタリーを制作するため、ATP(男子プロテニス協会)とWTA(女子テニス協会)及びグランドスラム全4大会と契約し、それを発表したのは2022年の初頭だった。まだ新型コロナウイルスによるパンデミックが完全には収束していない時期だったが、世界のメディアが集まる全豪オープン開幕前のメルボルンで華々しく記者発表が行われた。

22年の全豪オープンといえば、当時3連覇中の王者ノバク・ジョコビッチがコロナワクチン未接種問題で出場資格を失い、国外退去という衝撃的な結末を迎える中で幕を開けた大会だった。Netflixのカメラのツアーへの潜入が始まったそのとき、期せずして起こったジョコビッチ事件。国外退去になった王者に密着してその裏側を撮ることができたなら世界中の関心を集めることができたに違いないが、そのハードルは限りなく高かったと容易に想像がつく。

一方、ジョコビッチの件とは関係なくあの頃、テニス界は新たなスーパースターの登場を待ち望んでいた。膝を故障していたロジャー・フェデラーも前年のウィンブルドンを最後にツアー復帰できず、女子も絶対女王のセレナ・ウィリアムズが欠場という状況。その切なる声を掬(すく)うように、Netflixのカメラとマイクは若い候補たちの戦いを追っていく。

タイトルは『Break Point(邦題「ブレイクポイント:ラケットの向こうに」』。その年のうちにシーズン1として50分前後の番組が10話制作された。ジョコビッチ不在の全豪オープンでは自国のグランドスラム・タイトルを狙う“悪童”ニック・キリオスや、前年のウィンブルドンで準優勝したマッテオ・ベレッティーニ、その恋人だったアイラ・トムリャノビッチなどをメインに追い、3月のインディアンウェルズではカリフォルニア出身のテイラー・フリッツのマスターズ初制覇への日々に密着した。クレーシーズンに入り、マドリードでは美女プレーヤーとしても人気の元世界2位パウラ・バドーサや、アラブ女性初の偉業を次々と成し遂げるチュニジアのオンス・ジャバー、全仏オープンでは赤土の帝王ラファエル・ナダルに挑むフェリックス・オジェ アリアシムやキャスパー・ルードといった面々を主役に据えた。

彼らはまだグランドスラムのチャンピオンにも世界ランキング1位にもなったことはないが、熱心なテニスファンならその経歴やキャラまである程度は知っている。しかし、そんなファンにとっても、プライベートでの家族や恋人とのやりとり、敗戦後のチーム内部のピリピリした様子や生々しい会話は好奇心をそそられるし、新しい発見もあるだろう。キリオスにしてもフリッツにしても、ガールフレンドの登場頻度が高く、なれそめなどがあけすけに語られるのもテニスメディアではないNetflixならではの切り口だ。中でも撮影時に恋人同士だったベレッティーニとトムリャノビッチが一緒に宿泊する部屋での様子は、本人たちやエージェントがよくもここまで許可したと驚かされる。

コーチを務める父(右)と語り合うトムリャノビッチ(中央) Courtesy of Netflix

揶揄を逆手に取ったシーズン2

そうした内容もさることながら、23年の1月に前半5話の配信が開始されると、クローズアップされた選手たちが全豪で次から次へと姿を消したことがネット界隈(かいわい)を賑わせた。SNSでは「ネットフリックスの呪い」と揶揄(やゆ)され、会見場でもそれにまつわる質問が飛ぶほど「ブレイクポイント」はある意味話題となり、半年後に配信が始まった後半5話には、ステファノス・チチパス、フランシス・ティアフォー、イガ・シフィオンテク、アリーナ・サバレンカらが新たに登場した。

サバレンカの回では、祖国ベラルーシがロシアのウクライナ侵攻を支援しているという政治的背景と無関係ではいられない選手の立場を映し出し、心の傷やジレンマに迫った。21歳のときに亡くした父についても涙ながらに語ったサバレンカは、「苦しかったことも含めて、私のストーリーを多くの人が知ってくれるのはうれしい。見た人たちがもっと私に親近感を持ってくれたらいいなと思う」とデリケートなテーマでもポジティブに臨んだ。

滞在先のホテルの自室でくつろぐサバレンカ Courtesy of Netflix

翌年のシーズン2では、1年前の全豪での揶揄を逆手にとった「The Curse(呪い)」のタイトルでスタートして6話を制作。シーズン1からの馴染みのキャストも少なくない中、22年に史上最年少王者に上り詰めたカルロス・アルカラス、足首の大ケガからの復活に挑むアレクサンダー・ズベレフら華のあるスターが満を持して出演した。「大富豪の娘」というプロフィールが常についてまわるジェシカ・ペグラの回では、SNSでの誹謗中傷との戦いにもスポットを当てた。ペグラは当初このオファーには乗り気でなかったが、迷っていたところ、テニスとは関係のない友人たちから「信じられない。こんなチャンスは二度とないかもしれないのに」と猛烈に後押しされたという。

「こんなチャンス」という特別視には、同じくNetflixが制作したF1が舞台のドキュメンタリー・シリーズ「Drive to Survive(邦題:Formula 1:栄光のグランプリ)」の爆発的人気が漠然と影響していたかもしれない。ドライバーたちの個性や人間ドラマを掘り下げたこのドキュメンタリーは、アメリカを中心とした世界的F1人気の火付け役と位置付けられている。現在シーズン8を迎えており、人気のピークは過ぎたものの、世界に5億人いるというF1のファンの3分の1が21年以降の新規ファンという統計もあるそうだ。

Netflixとしてはスポーツ・ドキュメンタリーという分野に限りない可能性を見出したに違いない。そして、F1同様に世界を舞台に戦うテニスが次なる題材となった。シーズン1、2ともに初回に出演したキリオスは、「テニス界には若い世代にも個性的ですばらしいアスリートがたくさんいる。ビッグ3が引退していく今、次の世代のキャラクターが世界に紹介されるのは大事なことだ。こうしてテニスがまた注目されるのはうれしい。このシリーズは成功させなくてはいけない」と意外なほどの義務感と期待をメディアに語っていた。

しかし、シリーズ3の制作は行われなかった。密着取材における許可手順の煩雑(はんざつ)さ、テニスファン以外の視聴者獲得の難しさなどが原因の一端といわれるが、長い幕間(まくあい)となっても再開されることはないのだろうか。紹介すべきキャラクターもドラマも本来尽きないのだが。

エアロバイクにまたがり、陣営と協議するフリッツ(右) Courtesy of Netflix

バナー写真:ガールフレンドと手をつないで練習コートを移動するキリオス(左端) Courtesy of Netflix

Netflixシリーズ「ブレイクポイント: ラケットの向こうに」シーズン1~2独占配信中

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