Netflixドキュメンタリー「UNTOLD:極限のテニスコート」
大坂なおみのメンタル問題を誰よりも深く理解していた男の壮絶な物語
テニスはメンタルスポーツだとよく言われる。コートに立てば、勝負の8割はメンタルで決まるとも論じられる。確かに、何時間もたった一人で無数の判断とその遂行を繰り返し、間違いと失敗の責任を全て自身で負いながら次のポイント、また次のポイントと挑み続けるテニスは、ネットの向こうの敵を介した自分との戦いだ。そんなテニスで世界のトップクラスを争うプレーヤーは、凡人には計り知れないほど強靭(きょうじん)なメンタルの持ち主で、少なくとも弱さを人に見せないことがトップ選手のあるべき姿と考えられがちだ。だから、今から約3年前に大坂なおみが全仏オープンの記者会見ボイコットという手段でプレーヤーのメンタルヘルスの問題を世に提起し、さらに自身のうつを告白したことは衝撃的だった。
あのとき、大坂の主張を支持する選手は少なくなかったが、その中に「僕が力になれるかもしれない」というスタンスでメッセージを発していた元トップ10プレーヤーがいた。2015年に引退したアメリカのマーディ・フィッシュだ。彼こそ、大坂よりも前に自身が長い間抱えていたメンタルの問題を公表したプレーヤーだった。
テニス王国アメリカの焦燥と危機感
大坂の行動でテニス界が揺れた2021年、Netflixが制作するスポーツドキュメンタリー・シリーズ「UNTOLD」から「 極限のテニスコート(原題=Breaking Point)」が配信された。フィッシュが現役中に陥った心の病に迫るドキュメンタリーである。同シリーズの5作目にして初めて取り上げたテニスで、スーパースター選手ではなく自己最高7位のフィッシュをフォーカスしたことに違和感を覚えるかもしれないが、テーマの選択はあの時期のテニス界の関心事と一致する。
番組はフィッシュのジュニア時代から描かれる。彼はUSTA(全米テニス協会)が推進していた「次世代チャンピオン育成プロジェクト」のメンバーだった。このプロジェクトはテニス王国アメリカがその衰退に危機感と焦燥感を抱いて1988年に発足させたもので、15歳だったフィッシュがそこに招かれたときには、後に世界1位となる一つ年下のアンディ・ロディックもいた。
ここで当時のアメリカ・テニスの状況をしっかり押さえておくことは、フィッシュの物語をより深く理解するために重要だ。かつての王者ジミー・コナーズやジョン・マッケンローは全盛期を過ぎ、プロジェクト開始の88年初頭のATP(男子プロテニス協会)ランキングを見れば、トップ20に名を連ねる6人のアメリカ人選手は全員25歳以上。17歳のアンドレ・アガシが25位まで躍進していたが、同世代のピート・サンプラスやジム・クーリエ、マイケル・チャンはまだその名を世界に轟(とどろ)かせてはいなかった。とはいえ、90年代に再びアメリカの黄金期を築く何人もの逸材を抱えていながら、さらに先を見据えた種撒きを大々的に始めるあたりにアメリカの強烈なプライドが見てとれる。
しかし結果的には、2003年の全米オープンを21歳で制したロディック以降、男子のグランドスラム・チャンピオンも世界ナンバーワンも生み出していない。つまり、フィッシュたちはアメリカ男子テニス黄金時代の「尻尾の世代」だった。
心の堤防の決壊から再生へ
多大な恩恵を受けると同時に、求められるものも大きかったに違いない。全豪ジュニアや全米ジュニアを制覇してジュニア時代から異彩を放っていたロディックに対し、ジュニアの世界でもプロの世界でもトップ20入りがやっとというフィッシュの実績は及第点とは言えなかった。フィッシュがロディックの実家に“下宿”していたこともあるという兄弟のような関係だったが、長くロディックの陰に隠れた存在だったことは否めない。
そんなフィッシュがブレークしたのは2011年。20代最後のシーズンだった。夏のハードコート・シーズンでマスターズシリーズのモントリオールを含めて3大会連続で決勝に進出し、8月には自己最高ランクの7位に到達した。過去8年近くアメリカのトップの座を守ってきたロディックの下降線と交わるように、国内ナンバーワンへと躍り出た。そこには報われるべき努力が確かにあったが、遅咲きの甘い香りを楽しむ時間は長く続かない。
高まるプレッシャーと環境の変化で早くも翌12年は不振に陥った。アメリカのメディアやレジェンドたちの厳しい批判にもさらされ、ガタガタと精神のバランスを崩していく。不安や恐怖が原因で身体にも異変が起こり、不整脈で病院に運び込まれたこともあった。極限状態に陥っていったフィッシュの心の堤防は、ある日とうとう決壊してしまう。
12年の全米オープン。この大会を最後に引退するロディックとともに4回戦に勝ち進み、ベスト8進出をかけて挑む相手はロジャー・フェデラーだった。フィッシュ曰く「人生最大の舞台」だったにもかかわらず、その数時間前になって(フィッシュの)棄権が伝えられた。このとき、一体フィッシュの心と体に何が起こっていたのかを知っていた人はわずかしかいない。「UNTOLD」——語られざる物語が進行していた。
半年間コートに戻れず、2013年も6大会しか出場できずに2014年は完全離脱。プレーヤーとしての回復どころか人として再起できるのか、それほどの危機を両親や妻、理学療法士など身近な人々が支えた。
一方、彼らとは違ったアプローチでフィッシュを立ち上がらせたのがロディックだった。フィッシュはアメリカのトップに立って初めて長年ロディックが耐えてきた重圧を知ったというが、今度はロディックがフィッシュの苦悩を誰よりも切実に理解した。2年もの間、定期的にフィッシュに電話をかけて語り合い、ある日「君がその気なら、いっしょにダブルスに出ないか。そのために僕は復帰する」と誘った。2015年のアトランタでそれは実現する。ロディックが引退してから公式戦のコートに立ったのは、後にも先にもあのときだけだ。
その約1カ月後、3年ぶりに全米オープンの舞台へ戻ることができたフィッシュはそこでキャリアに終止符を打つ。大会初日、長い葛藤の年月を綴った手記を世に出し、記者会見では「大勢の人たちが同じような問題に立ち向かい、程度の差こそあれ、日々戦っている。僕はようやく、自分の経験を共有して誰かの助けになりたいと思えるまでになった」と語った。
すべてのアスリートが強いメンタルの会得を求め、エリートたちは幼いうちからその方法を叩き込まれる。しかし、フィッシュがたどり着いた結論は意外なものだった。強者にも潜む弱さ、その克服に立ち向かう強さ、そして強さも弱さも超えた「やさしさ」を感じる真実のドラマだ。
バナー写真:インタビューに答えるフィッシュ COURTESY OF NETFLIX
Netflix「UNTOLD:極限のテニスコート」独占配信中