「極私的メモリアルマッチ」第2回 サントリー・ジャパンオープン1988決勝 ジョン・マッケンロー対ステファン・エドバーグ
新旧を代表するサーブ&ボレーヤーが有明で激突。休養明けで全盛期の輝きを取り戻したマッケンロー
7カ月のブランクを経て復帰したマッケンロー
1988年4月、世界からも注目を集めた試合が日本で行われた。ジョン・マッケンローとステファン・エドバーグが対戦したサントリー・ジャパンオープン(以後、ジャパンオープン)決勝がその試合。マッケンローは前年の全米オープン以降、出場停止処分に端を発した7カ月間の長期休養を取っており、そのブランク明けの最初の試合に選んだのが本大会となった。当時、戦績が下降線を辿り始めていたとはいえ、テニスファンの熱烈な支持を集め続けるスーパースターが世界ランク3位でトップを伺う勢いの22歳の若武者相手にどんな戦いを見せるのか、決勝の舞台には願ってもない好カードは、日本のみならず海外からも大いに関心を呼んだのだ。新旧を代表するサーブ&ボレーヤー同士の対決は、希少性という点でも注目度が高かった。
マッケンローはグレッグ・ホルムズ、デリック・ロスターニョ、松岡修造戦をいずれも2-0、準決勝はデビッド・ギルバートを2-1で下しての決勝進出。一方、エドバーグはマット・アンガー、スコット・デービス、ブラッド・ドリューエット、ティム・メイヨットをいずれもストレートで退け、ファイナルへと歩を進めた。
出場にあたり記者会見で「7カ月ぶりなので、コートに慣れようと思い、出場を決めた。この大会で優勝しようとは思わない。思えばプレッシャーがかかる。もし優勝できたら驚くべきことだ」と発言していたマックは、あれよあれよと優勝に手が届くところまで到達した。
大方の戦前の予想はエドバーグ有利。前年、この大会で優勝し有明の速いサーフェスとの相性の良さを実証済のエドバーグは、ここまでつけ入る隙のない戦いをしており、マックはブランク明けということもあって、好調な「北欧の貴公子」の2連覇は堅いと思われていた。
余談だが、本大会準々決勝でマックと対戦した松岡は13本のサービスエースを決めるなどサーブが好調で、タイブレークで一時はセットポイントを握り、6-7(8-10)、6-7(7-9)と善戦している。
明暗を分けたリターンの出来
試合はコイントスで勝ったエドバーグがレシーブを選択、マックのサービスゲームで始まった。第1ゲームはマックのサーブのキレが良く、エドバーグから2本のリターンミスを誘発し、ラブゲームでキープ。対してエドバーグは続く第2ゲームを3度のデュースに持ち込まれ何とかキープという対照的なスタートとなった。この序盤の流れが第4ゲームでのマックのブレークにつながる。このゲームでマックは2本のパッシングショットに、ダウンザラインのエースとストロークの冴えを見せる。ネットに出たエドバーグの足元にボールを沈めて浮かせたボレーを果敢に「決めに行く」ショットを放ち、主導権を握るマック。「優勝したら驚くべきことだ」と発言していた選手とは思えない、「強者の戦い」を見せる。
サーブ&ボレーヤー同士の戦いはリターンの出来がゲームのカギを握る。いかに相手に気持ちよく1stボレーをさせないか、両者のリターンの出来が注目された。序盤はマックのリターンの好調さと、試合前、「リターンをしっかりしたい」と言っていたエドバーグのリターンミスが目に付く。ほとんどリターンミスがないマックに対し、エドバーグはマックのサーブのコースが読み切れないのか、タイミングが合わないのか、第4ゲームまでに5本のリターンミスを重ね波に乗れない。エドバーグのリターンの不調に勢いづいたマックは、次第にサーブとストロークの切れ味を増し、第4ゲームでブレークポイントを握るとすんなりブレークにつなげた。
その後もエドバーグのリターンの不調は続く。第6ゲームには3本のリターンミスを犯し、その内の2本は2ndサーブに対するもの。試合前、リターンをポイントに挙げていたエドバーグにとって悪夢のような展開となった。
2-5で迎えた第8ゲームでは、エドバーグは40-0から追いつかれ、挙句にダブルフォールトでセットポイントを握られる。一度はセットポイントをしのいだものの、最後はマックにパッシングショットを決められ2-6。エドバーグはほとんど攻略の糸口をつかめずにセットを落とした。
第1セットは両者のリターンの出来が明暗を分け、一方的な展開となった。エドバーグからは好調時、息で前髪を吹き上げるお馴染みのポーズが出ることもなく、表情は曇る。北欧の貴公子の場合、そんな憂いを醸し出す風貌も絵になるのだが……。
両者の意外な対戦成績
この二人には気になるデータがある。このジャパンオープン決勝前までの二人の対戦成績はマックの6勝1敗。圧倒的にマックが勝ち越しているのだ。直近では、前年のWTCファイナルズの準決勝で二人は顔を合わせているが、マックが3―1で勝利している。1987年時点でエドバーグの方がマックよりランクが上になっていたが、マックに中々勝てないという状況が続いていた。エドバーグ本人にマックに対する苦手意識があったかどうかは知る由もないが、準決勝までとは打って変わって、やや精彩を欠いたエドバーグのプレーを見るにつけ、これが相性(の悪さ)というものなのだろうかという思いが頭をよぎる。
記憶に新しいところでは、2023年全米オープンの女子4回戦で世界ランク1位のイガ・シフィオンテクがエレナ・オスタペンコ(同20位)に敗れた一戦がある。オスタペンコは17年全仏の覇者で世界ランク最高5位の実力者であり、決して「伏兵」ではない。また、試合はランキング通りの結果になるのが順当というわけでもないが、シフィオンテクは全米の優勝候補の一人であり、オスタペンコはほぼノーマークの存在だった。それだけにこの「番狂わせ」にテニスファンは驚いたわけだが、実は二人は全米前までに3度対戦し、オスタペンコの3連勝。全米の対戦はセットカウントが1-2とはいえ、第3セットを1-6のワンサイドでなす術もなく落とし、呆然とした表情でコートを去っていくシフィオンテクの姿は印象的だった。
シフィオンテクはこれによりグランドスラム・タイトルを逃しただけでなく、女王の座をアリーナ・サバレンカに明け渡すことになった。この試合でオスタペンコは終始、自信に満ちた表情で強打し続け、エースを量産。シフィオンテクは気圧されたかのように、第3セットはらしからぬミスを重ねた。
マックとエドバーグの決勝はこの試合の印象が重なる。エドバーグは第2セットに入ってもリターンの精度が上がらない。第1ゲームからいきなり3本のリターンミスであっさりマックにサービスキープを許し、サーブも精彩を欠く。一方、マックはリターンエ―スに、パッシングショットに、かつて「マック・ザ・ナイフ」とも呼ばれた切れ味鋭いプレーを随所に披露。ピークを過ぎた7カ月のブランクがある選手が突如、世界王者だった頃を彷彿とさせる「覚醒した」プレーを繰り広げるとは誰も予想しなかったのではないだろうか? それほどこの日のマックは絶好調だった。
全盛期を彷彿とさせたマッケンローの復活劇
第5ゲームにはマックが2本のリターンエ―スを含め強烈なリターンでエドバーグを追い込み、ブレークポイントを握ると、エドバーグはマックの鋭いリターンにプレッシャーを感じたのか、ダブルフォールトでこのゲームを落とす。ブレークを許したエドバーグはその後、逆襲の気配を見せることもなく、終盤に向けて失速していく。2―5で迎えたエドバーグのサービスゲームでは、場内からエドバーグへ多くの声援が飛んだが、それらを封殺するかのようにマックは2本連続のリターンエ―スを決める。
続くサーブではエドバーグが痛恨のダブルフォールトを犯し、0―40。センターコートにはエドバーグ・ファンの悲鳴にも似た声が響きわたり、プレーが一時、中断するほど。続くマッチポイントではマックのパッシングショットをエドバーグがとらえきれずにあっさりゲームセット。試合時間はわずか1時間12分。予想外のワンサイドゲームとなった。マックは天を仰いで両手を突き上げ喜びを爆発させた。
マックはリターンエ―スが5本、ダウンザラインやパッシングのエースも随所に決め、ドロップショットやロブも交え、多彩なショットで相手を翻弄。ブランクを微塵も感じさせないプレーぶり。対するエドバーグは試合を通じてサービスエース(2本)よりもダブルフォールトの方が多く(3本)、攻略の焦点を絞りきれないまま、攻守共に不完全燃焼に終わった。
エドバーグの調子が悪かったからマックが勢いづき全盛期に近いプレーが出せたのか、マックの調子が良かったからエドバーグが受け身になり調子を出せずじまいだったのか、「鶏が先か、卵が先か」みたいな難問(?)だが、いずれにしてもマックは終始溌剌(はつらつ)とし、エドバーグは時折首を傾げるなど、ストレスを抱えている様子だった。もしかしたらこれが相性の為せる業なのだろうか? 但し、エドバーグの名誉のために付け加えると、翌年のジャパンオープン準決勝で二人は対戦し、フルセットの末、エドバーグが勝利。この勝利も含め以後はエドバーグが5連勝し、最終的に二人の対戦成績は6勝7敗とほぼ互角になっている。
マックは大会前の記者会見で「試合に負けたり、苦しいカムバックの時期を今、迎えているけれども、得られるものが引退するよりも大きいので、それにチャレンジしていく」と語った。そのチャレンジ精神を垣間見るような素晴らしいプレーを有明で見せてくれた。それは日本のテニスファンにとって宝物となったことだろう。
サントリー・ジャパンオープン1988決勝 1988年4月17日(有明コロシアム)
〇マッケンロー 6-2、6-2 エドバーグ
バナー写真:ジャパンオープン決勝後の表彰式でスピーチするマッケンロー(右)とウィスキーの瓶を抱くエドバーグ(左) 撮影:真野博正