REVIEW

映画・ドラマ・ドキュメンタリー評

ドキュメンタリー「フェデラーvsナダル〜史上最高のライバル〜」

2023.09.06 / 山口奈緒美(テニスライター)

スポーツの枠を超えた極上の番組

「僕はこれまでたくさんの試合を見て、解説をし、自分自身も多くの戦いを経験してきた。そのすべてを寄せ集めて考えても、2008年のラファとロジャーのあの試合は間違いなく史上最高の一戦だったといえる」 

そう断言するのは、自身も屈指の名勝負をかつて繰り広げた元王者、天才にして悪童とも呼ばれたジョン・マッケンローだ。その評に異論を唱える者がいるだろうか。「あの試合」とは2008年のウィンブルドンの男子シングルス決勝戦である。

6連覇を狙うロジャー・フェデラーと、過去2年続けて準優勝に終わっていたラファエル・ナダルとの一戦。試合時間は当時大会史上最長の4時間48分に及び、戦った62ゲームもまた当時の最多記録だった。降雨により2度の中断をはさみながらも、異次元のクオリティで繰り広げられた攻防は、もう陽も落ちた午後9時16分に決着。フェデラーのフォアハンドがネットにかかり、ナダルが雄叫びを上げて背中から崩れ落ちた。

テニスの歴史にも触れるライバルの物語

あの死闘からちょうど10年後の2018年の7月6日に、この「史上最高の試合」の内幕に迫ったドキュメンタリー番組「Strokes of Genius」がBBC(英国放送協会)と米国ケーブルテレビ局のテニスチャンネルで放映された。その日本語字幕版が同年11月にWOWOWで放送された「フェデラーvsナダル〜史上最高のライバル〜」(2023年9月6日時点では放送休止)だ。

当時の記者会見でのコメントや、10年経って冷静に試合を振り返るフェデラーとナダルの言葉もふんだんに盛り込まれ、コーチやトレーナー、家族など身近な人々のほか、審判や数々のレジェンド、コメンテーターやジャーナリストらの証言や分析も興味深い。作品の主軸となるのは2008年のウィンブルドン決勝だが、もっと長く、もっと深い、テニスの歴史にも触れるライバルの物語だ。

12歳の頃からのそれぞれの姿も見ることができるが、5歳の歳の差があるふたりはジュニア時代にまじわることはなく、初対戦は2004年のマイアミだった。王者の椅子に座ってまだ1カ月の23歳フェデラーに17歳のナダルが勝利し、それから15年の間に40回を数える対戦の歴史の幕は開けた。しかしそれよりも前に運命の駒が静かに動き出していたことを、随所で感じることができるだろう。

中でも2003年は印象深い年だ。この年のウィンブルドンで21歳のフェデラーは初めてグランドスラムの栄冠を手にした。新たな時代の始まりに人々は興奮し、フェデラー一人が主役の座を独占したが、その年のウィンブルドンはナダルのグランドスラム・デビューの大会でもあった。

ウィンブルドンの絶対王者として君臨していたフェデラーはナダルに6連覇の夢を絶たれた 撮影:真野博正

ナダルは3回戦で敗れたが、17歳でのウィンブルドン3回戦進出は、1984年のボリス・ベッカー以来の最年少という記録を残している。しかし、注目度が高かったとは言えない。その約2カ月前のハンブルクのクレーの大会で、同じマヨルカ出身の元王者カルロス・モヤを破る金星を挙げ、クレーコートの新星として注目されていたものの、プレースタイル的に芝は不向きと見られていたからだ。

しかし、まだあどけない顔つきのナダルは「一番優勝したい大会はどこ?」と聞かれて、「ウィンブルドン」と即答している。のちに前人未到の全仏オープン優勝記録をV14まで伸ばしていくナダルの夢は、早くからウィンブルドンにあった。それを知れば、ナダルが決して「クレーコートの王者」という称号で満足していなかったことに気づく。

フェデラーの初優勝とナダルのデビューが重なったウィンブルドンのわずか5年後が、あの2008年だ。ナダルにクレーでかなわないことをすでに思い知らされていたフェデラーは、ついに芝の聖地も明け渡し、次に対戦した翌2009年の全豪オープンの決勝でも4時間19分の激闘に敗れ、ナダルに初栄冠を許した。

「ライバルというものを受け入れなくてはならなくなった。そんなものはいらないと思っていたけれど」

当時の心境と覚悟をそう振り返っている。フェデラーがナダルを意識するずっと前から、「打倒フェデラー」の決意を抱き続けてきたナダル。そのナダルをライバルとしてとうとうフェデラーが認めてから、ファンはこの二人の天才の関係をより尊いものとして敬愛するようになったのではないか。

ナダルはこの大会で芝でも自分のプレースタイルが通用することを証明した 撮影:真野博正

ウィンブルドンの壁に刻まれた一文

その後も回を重ねた二人の対戦の中でも、2017年の全豪オープン決勝は忘れられない。グランドスラムの決勝で戦うのは11年の全仏オープン以来約6年ぶりで、このときのフェデラーは膝の怪我から復帰したばかりだった。ナダルも不振に陥っており、ロランギャロスでさえ2年連続で準々決勝までに敗れていた。二強時代はもう完全に終わり、それぞれに引退説まで流れた時期があった。しかし再びグランドスラムの決勝でネットをはさみ、フェデラーが4年半ぶりのグランドスラム優勝を遂げた。その優勝スピーチでナダルにこう語りかけたのだ。

「僕たちがまたこんな舞台で戦えるなんて夢のようだよ。テニスは引き分けのないタフなスポーツだ。でも、もしテニスに引き分けがあるなら、今夜僕は喜んでそれを受け入れ、優勝を君と分かち合いたい。ラファ、これからもツアーでプレーし続けてほしい。テニスが君を必要としているのだから」

ウィンブルドンのセンターコートへと出る通路の壁に刻まれた一文が思い出された。

〝IF YOU CAN MEET WITH TRIUMPH AND DISASTER AND TREAT THOSE TWO IMPOSTORS JUST THE SAME〟
------もし君が栄光と惨劇に遭遇し、この二つの虚像をただ同じように扱うことができるなら------

ノーベル文学賞も受賞したイギリスの詩人ラドヤード・キプリング(1865-1936)の「IF」という詩のほんの一節である。詩全体にはいくつもの「If(もし)」が綴られ、「この世とそのすべては君の手の中にある」と結ばれる。

センターコートでプレーする者は皆、その高尚な訓示に見送られ、のちに栄光と惨劇の当事者———勝者と敗者となってここへ戻って来る。そのとき、その両極端の結末を単なる「虚像」として同じようにとらえるとはいったいどういうことなのか。

「フェデラーvsナダル」。これはテニスというスポーツの枠を超えて、哲学的、あるいは詩的、芸術的な感覚をも鋭く刺激してくる極上のドキュメンタリーである。

優勝が決まった瞬間、コートに倒れこむナダル 撮影:真野博正

※本記事に掲載の写真は2008年ウィンブルドン男子シングルス決勝から編集部が選定したもので、番組の映像と必ずしもリンクしていません。

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