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2025ウィンブルドン・レビュー 史上最も暑い聖地で起こった異変と波乱

2025.07.30 / 山口奈緒美(テニスライター)

大会を盛り上げた30代の男たち

ついにウィンブルドンからもラインパーソンが消えた光景、連日30度を超える気温で観客席に頻発する熱中症……人為的な改革であれ、自然の異変であれ、時代に適応することへの覚悟と戸惑いが入り混じる中で繰り広げられた2週間の戦いだった。

147年の歴史の中で初日としては最も暑い33度を記録したセンターコートは、開幕試合から白熱した。ディフェンディング・チャンピオンの22歳、カルロス・アルカラスの3連覇の野望を元世界ランク9位、38歳になったファビオ・フォニーニがいきなり脅(おびや)かしたのだ。勝負はファイナルセットへ突入し、最後は6−1でアルカラスがものにしたが、天性のテニスセンスとラテンを絵に描いたような気性と情熱でいつもファンをコートに巻き込んできたフォニーニは、その9日後に現役引退を発表した。

現在ナンバーワンのヤニック・シナー(23歳)のみならず、全仏では23歳のロレンツォ・ムゼッティがベスト4進出を果たし、今大回はこれも同い歳のフラビオ・コボッリが初めてグランドスラムのベスト8に進出するなど、今や世界一の隆盛を誇るイタリアで、先にその扉を軽く開いていたのがフォニーニだった。長年のテニスファンには、またひとつ胸に堪(こた)える別れになった。

そのフォニーニと同じ38歳でなお25個目のグランドスラム制覇を目論むノバク・ジョコビッチにも、終わりのときが近づいているのだろうか。ローランギャロスに続いて準決勝に進出、「自分にまだチャンスがあるとしたらウィンブルドン」として赤土の舞台よりも望みは高かったが、またもシナーの壁を打ち崩せず、5週間前と同じストレート負けに沈んだ。
「できる限りのあらゆるトレーニングと準備をすることで、グランドスラムではまだ自分のベストのテニスができると感じている。まだ続けたい。でも体が言うことを聞いてくれないというのも事実だ」

コートに立ち続ける最後の「ビッグ3」は、そう言ってウィンブルドンをあとにした。

こうしてシナーがグランドスラム4大会連続の決勝進出を決めたが、ジョコビッチ以上に彼を苦しめたのが、4回戦で対戦した34歳のグリゴール・ディミトロフだった。「ベイビー・フェデラー」の異名もとった元世界ランク3位、この時点で21位のディミトロフは、2セットを先取し、第3セットの序盤もいいペースでサービスキープをしていた。しかし、第4ゲーム最後のポイントでサーブを打った際に右胸の上あたりをおさえてうずくまり、治療を試みるが、痛みと絶望で歪んだ顔が試合続行は不可能であることを物語っていた。

「今日は自分が勝者だとは思わない」(シナー)

しかし、誰かの残酷な運命と引き替えに生き延びることは勝負の常だ。ひと桁シードの過半数が1回戦で姿を消した波乱の序盤戦を経て、ベテラン世代の反乱も完遂(かんすい)はされず、やはり最後は新2強時代を固める頂上対決となった。

1回戦でアルカラスを苦しめたフォニーニ。有終の美を飾る鮮烈な印象を残しての引退となった 撮影:真野博正

新時代のライバル関係

全仏オープンとウィンブルドンの決勝が同じカードになったのは、2006年から3年連続で両大会の決勝を戦ったラファエル・ナダルとロジャー・フェデラー以来。最後の年、08年はテニス史上最高の試合とも言われる4時間48分に及ぶ死闘の末に、フェデラーの6連覇を阻んでナダルが初優勝を遂げ、1980年のビヨン・ボルグ以来となる全仏&ウィンブルドンの同年制覇を果たした。翌年はフェデラーが、21年にはジョコビッチが同じことを成し遂げたが、アルカラスは22歳にして彼らの仲間入りをするのか、あるいはローランギャロスで3つのマッチポイントを握りながら逆転負けを喫したシナーがイタリア初のウィンブルドン・チャピオンに輝くのか----。

アルカラスが2−4から4ゲーム連取で第1セットを奪ったが、ダブルフォールトで始まった第2セットでいきなりブレークを許し、シナーは第1セットと同じ轍(てつ)を踏まずにリードを守り切ってセットをイーブンに戻した。

極限のフィジカルを誇示し合うような、不可能の実現をつなぎ合わせたようなラリーが、テニスの今を見せつける。勝負を分けた両者の差は、ファーストサーブの確率とネットプレーの積極性でシナーが上回っていたことだろうか。アルカラスの得意なドロップショットには何度か足をとられたシナーだが、第2セットに続いて第3、第4セットもワンブレークを生かして最後はサービスウィナーでライバルを振り切った。

爽やかな表彰式だった。シナーが「君はもうこのトロフィーを2つ持っているんだから、いいよね」と冗談めかすと、アルカラスは敗者の陰を微塵(みじん)も見せず太陽のように笑った。フェデラーとナダルの関係が特別だったように、このライバル関係もまた過去のどの時代にもなかった性質を持って展開していくのだろう。

アルカラスは純粋な思いを記者会見で語った。
「彼とのライバル関係をすごく、すごく幸せなことだと思っている。僕たちのためにも、テニスのためにもね。僕たちの試合はいつもレベルが本当に高くて、グランドスラムやマスターズの決勝で戦っていく中で、その関係は益々すばらしいものになっていくと思う。そんなライバルがいるから、毎日の練習に100%の力を注ぐことができる。ヤニックを倒すためにはこのレベルを維持して、もっと上げていかなくちゃいけないからね」

王座を維持するシナーは勝ってなお、アルカラスとの「次」に向けた準備に思いを巡らせた。
「カルロスへの敬意をいつも持ち続けている。今日だって彼のほうが上回っていたところがいくつかある。そこはこれから僕たちが取り組むべきことで、彼はまたすぐに僕たちの前に現れるから、その準備をしておかないといけない。ターゲットがあってこそ準備ができるんだ」

シナーは「僕」ではなく「僕たち」と言う。チームで戦っているという感覚が染み付いているのだ。それもまた今のテニスの姿である。

表彰式でお互いの身体をタッチするシナー(中央)とアルカラス(右)。さりげない仕草が二人の親密さをうかがわせる 撮影:真野博正

2025ウィンブルドン男子シングルス決勝
〇シナー 4-6、6-4、6-4、6-4 アルカラス

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次々に消えていったシード勢

序盤の波乱は男子だけではなかった。女子も全仏チャンピオンで第2シードのココ・ガウフをはじめ、第3シードのジェシカ・ペグラ、第5シードのジェン・チンウェン、第9シードのパオラ・バドーサが初戦で敗退。前年のファイナリストで第4シードのジャスミン・パオリーニも2回戦で姿を消した。ディフェンディング・チャンピオンのバルボラ・クレイチコバと22年覇者のエレナ・リバキナが3回戦で敗れた時点で誰が優勝しても初優勝という状況になり、ウィンブルドンは過去2回戦が最高という37歳のラウラ・シグムントが全豪チャンピオンのマディソン・キーズを3回戦で破ってベスト8まで駒を進めてきたのも、波乱の産物だった。

多数のシード崩れの背景として、数年前と比べても層が厚くなっているからだという見方があるが、それだけなら全豪や全仏で同じ傾向が見られてもよかったはずだ。テニスがよりフィジカル重視になり、ベースラインでの激しい打ち合いが主流になる中、芝という特殊なサーフェスにおいては、ランキング自体がハードやクレーに比べて意味を持たなくなったのではないだろうか。

ベスト8の顔ぶれは年齢層も幅広く、下は18歳のミルラ・アンドレエワから上は前述のシグムント。30代はもう一人、3回戦で大坂なおみに逆転勝ちした33歳のアナスタシア・パブリュチエンコワがいたが、30代と10代は全員準々決勝で姿を消し、ハードコート以外で初のグランドスラム優勝を目指す第1シードの27歳アリーナ・サバレンカ、燃え尽き症候群を克服して前年1月にツアー復帰した第13シードの23歳アマンダ・アニシモワ、前年4月の出産を経て母としてコートに戻ってきたベリンダ・ベンチッチ、そして今季不振に喘(あえ)ぎながらウィンブルドン初優勝を狙う24歳の元女王イガ・シフィオンテクが残った。

全仏V4、全米のタイトルも持つシフィオンテクだが、ウィンブルドンでの準決勝進出は初めてだった。ジュニアのときはウィンブルドンで優勝したのに……不思議がる声に対してシフィオンテクは明快な答えを出している。
「ジュニアが始まるのは大会の2週目。特にあの年はすごく暑くて、芝はもう芝じゃなくなってた。ほとんどクレーコートだったわ。その翌年はプロで出て、1回戦での芝が長くて全然違った」

そのプロ初出場の年は1回戦敗退だった。芝でのフットワーク、テークバックのタイミングなど、毎年少しずつ学び、上達しながらここまで到達できたという。今年はローランギャロスの準決勝で負けたため、たとえ数日でも芝での準備を早く始められたことも功を奏した。そして、ジュニアで優勝した年以上に今年のウィンブルドンは暑かった。2回戦でセットを落としたものの、3回戦以降は危なげなく、ベンチッチとの準決勝は6−2、6−0で快勝した。

今大会、快進撃を続けたシフィオンテク。ハードコート・シーズンも好調を維持できるか 撮影:真野博正

ダブルベーグルで払拭した沈滞ムード

それにしても、つい1年前までは他の追随を許さなかったシフィオンテクが今季1勝もしていなかったとはどういうことだろう。敗れた相手は、どうにも苦手なエレナ・オスタペンコ(今大会前までの対戦成績はオスタペンコの6勝0敗)を除けば、それまで勝ち越している選手ばかりだ。前年のドーピング違反がもたらした動揺、その責任のとり方がフェアではないという批判、自国からの期待と重圧。

「誰もが自分に背を向けているように感じた」という状況で自信を失い、大坂のコーチだったウィム・フィセッテをコーチに招いても結果は出ず、悪循環に陥った。2月のドーハでオスタペンコに完敗した後、ベンチでラケットを叩きつけ、どんな時も感情をコントロールするクールな女王のイメージも崩壊した。

苦手の芝で復活の狼煙(のろし)を上げる準備を整え、決勝にはサバレンカとの準決勝で番狂わせを演じたアニシモワを迎える。両サイドともに正確に打ち分けるストローク力で、2月のドーハでは初のWTA1000のタイトルも獲得したアニシモワは、対サバレンカ6勝3敗と大きく勝ち越している大物キラーでもある。

しかし、ジュニア・フェドカップでアニシモワが勝利してから9年、プロでの初対戦はシフィオンテクの歴史的勝利で幕を閉じた。ウィンブルドンの決勝が6−0、6−0で決着したのは1911年以来114年ぶりで、オープン化以降では初、グランドスラム全大会を見渡してもただ一度だけ、1988年の全仏オープンで当時の女王シュテフィ・グラフがナターシャ・ズベレワをわずか32分で片付けた決勝しかない。

1ゲームくらい挑戦者に見せ場を作るのも、紳士・淑女の娯楽として始まったテニスという競技での女王の品格というものではないか――口には出さなくてもそんな思いでわだかまるファンもいることだろう。しかし、1年あまりの無冠の日々に唇を噛んできた元女王にとっては、この勝ち方こそ行く末を左右する重大なものだったのかもしれない。 

本来の力を出し切れずに完敗したアニシモワ。表彰式では涙を拭う場面も 撮影:真野博正

最後になったが、全面的にテクノロジーに頼ることになった今大会で、釈然としない出来事があった。パブリュチェンコワと地元イギリスのソナイ・カータルとの4回戦。間違えないはずの機械が大事な局面で間違いをおかした。主審がラリーを止めて主審台の電話で何かを確認したのは、「アウト」とコールはされなかったカータルのショットの判定を疑ったからだ。スローの再生ビデオで見る限り、主審の目は正しく、明らかにボールはベースラインを越えていた。

しばらくして、「システムが正確に作動しなかったため、ポイントやり直しとします」という説明があったが、ビデオでアウトが確認できたのであれば、パブリュチェンコワのポイントとなるのが筋だ。しかし、それでは機械の判定を人間が覆すという本末転倒の前例を作ることになり、今後システムへの信用は揺らぐ。

伝統を守りながらも時代の空気を読み、センターコートに屋根をつけても、人の目を機械に替えても、課題は尽きることがない。次は何がどう変わるのだろう。興奮とともに寂しさの余韻も残した今年のウィンブルドンだった。

2025ウィンブルドン女子シングルス決勝
〇シフィオンテク 6-0、6-0 アニシモワ

バナー写真:(上)優勝を決めた後、飛び上がって喜ぶシフィオンテク。(下)シナーは抜群のフットワークと強靭なフィジカルでドロップショットなど多彩な攻撃を仕掛けるアルカラスを封じた 撮影:真野博正

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