テニス トリビアクイズ
1931年に行われたウィンブルドン男子決勝は、とある選手の足首のケガのためシドニー・ウッド(米国)の不戦勝となりました。ウィンブルドン男子決勝が不戦勝で勝敗が決したのは、後にも先にもこの年だけですが、ケガで不戦敗となった、ある有名なハリウッド女優の祖父にあたる選手は誰でしょうか?
1985年、松岡修造は全仏オープン・ジュニアに出場し、1回戦で当時ブラジル国籍だった古庄大二郎と対戦しました。松岡が7-5、6-7、9-7で勝利しましたが、炎天下の白熱した試合途中、古庄が全身痙攣(けいれん)で倒れるアクシデント。この時、古庄が叫んだ言葉が彼の人生を変えることになります。何と叫んだのでしょうか。
1999年の全豪オープン2回戦で、アンナ・クルニコワ(ロシア)は31本のダブルフォールトを犯しながら勝利するという「離れ業」をやってのけました。その試合の相手は誰だったでしょうか?
テニス関連メーカーで、世界で最も古い歴史を持つ企業はどこでしょう?
1996年のウィンブルドン準決勝、伊達公子対シュテフィ・グラフ戦のインプレー中のこと。グラフがサーブのモーションに入ろうとしたところ、観客席の男性が“Steffi, will you marry me(シュテフィ、結婚してくれないか)?”と叫びました。すると、ちょっと間が空いてからグラフがその男性に向かって返事をしました。彼女は何と言ったでしょうか?
ビッグサーブが武器だった松岡修造は、1985年の全仏オープンジュニアに出場、1回戦で古庄エドワルドを7-5、6-7、9-7の激戦の末下し、2回戦では大会第2シードで、後に世界ランク1位となるトマス・ムスター(オーストリア)と対戦。2-6、3-6で敗れましたが、その試合で柳川高校仕込みとされるワザを披露しました。どんなワザだったでしょうか。
母親が全米オープンでベスト8になってから45年後、同大会でベスト8になった選手は誰でしょうか?