COLUMN

コラム

鷹の目と人の目――線審不在の風景

2023.06.26 / 武田 薫(スポーツライター)

男子ツアーテニスを統括するATP(男子プロテニス協会)のアンドレア・ガウデンツィ会長は、2025年から電子判定によるラインジャッジ(線審)の採用を発表した。女子ツアーのWTA(女子テニス協会)もこの考えに同調する姿勢を示している。

カメラ画像のコンピューター解析でボールの軌道を追跡判定するシステムは、開発者の名前に由来した〝ホークアイ(審判補助システム)〟の名で4大大会では 2006年の全米オープンから採用されてきた。ラインジャッジ(線審)のコールに異議を唱えてビデオ判定を求める「チャレンジ・システム」がファンの間にも浸透していく中、新型コロナの感染拡大で審判の移動が制限された期間に、一気に無人化→人工音声の採用が進んだ。ATPは日程の固まっている24年を準備期間としたものの、既にコロナ明けの22年全米、23年全豪では線審不在で実施されており、実質的に線審不在の時代に入ったと言っていいだろう。

テニス、クリケットで始まった電子化=ビデオ判定の採用は、他競技にも一斉に波及し、22年のサッカーワールドカップではスペイン戦の勝利に繋がった「三苫の1mm」が話題を呼んだ。23年のワールドベースボールクラシック(WBC)では、タッチプレーを証明した「源田の1mm」でも評判になった。ボールゲームに限らず、オリンピックのフェンシングやウエイトリフティングなどにまでビデオ判定が採用された背景には、二つの理由が考えられる。

競技のスピードアップの要請が背景に

競技技術の高度化と高速化に伴って際どいプレーが増え、判定の社会的影響も増大した。加えて、競技のスピードアップがあるだろう。ビデオ検証にも時間はかかるが、ダラダラと観客不在の抗議が続く事態は解消され、試合進行がスムーズになった――。

テニスのラインジャッジは過去に様々な「事件」を提供してきた。最近で衝撃的だったのは2020年の全米オープン準々決勝だ。第1シードのノバク・ジョコビッチが八つ当たりで打ち付けたボールがラインジャッジを直撃し即刻、退場処分となった。同じ全米では2007年、前年覇者のセレナ・ウィリアムズと主催者推薦のキム・クライステルスによる準決勝がある。キムが第1セットを奪い、6-5とリードした第2セット、セレナが線審にフットフォルトを取られ15-40になった。判定に怒ったセレナが線審を罵倒すると、線審はそれを主審に報告し、主審がポイントペナルティーを科した。セレナは第1セットでラケットアビューズ(テニスプレーヤーが怒りに任せてラケットを放り投げたり、地面などに叩き付けたりする行為)の警告を取られていたため、その時点でゲーム終了という、後味の悪い結末になった。いずれも、線審がいなければ起きることはなかった。

テニスは19世紀半ばの英国で、天然ゴムの発見と芝生文化という産業革命の副産物として誕生したものだ。当時のイラストには審判の姿はなく、1877年の第1回ウィンブルドン選手権の写真にも主審の姿しか映っていない。当時のテニスコートは紳士淑女の社交の場だった。相手を尊重するセルフジャッジで不都合もなかったのだろう。また、テニスの前身であるジュ・ド・ポーム(フランス語で「手のひら(paume)の遊び、ゲーム」を意味する。その名が示すように、古くは素手で直接ボールをたたいて競技した。その後、ラケットを使うようになって以降も、フランス語では競技を指す場合、変わらずポームの語が用いられた)という室内球技には、ラインがなかったことも関係があるかもしれない。

テニスの普及発展、やがてはプロ化という流れに沿って審判の数も増えた。主審の足元でネットに触手してサービスのネットタッチを判定する副審がいた。この副審は触手の判断が不確実で、打球が当たる事故が頻発したこともあって、96年のウィンブルドンから、ネット上部にセンサーが設置されたことで姿を消した。ジャッジの変遷はテニスの普及と踵を接しているわけだが、そこにはもう一つ微妙な感情も横たわっている。

「最後の牙城」全仏も消えゆく運命

全米や全豪のようなハードコート、ウィンブルドンの芝のサーフェスではともかく、全仏を頂点とするクレーコート・テニスでは、電子判定の採用に対して根強い抵抗がある。4大大会の中で全仏だけがホークアイを採用せず、2023年の大会もラインズマンの判定で試合を進行し、ビデオ装置は採用していない(テレビ中継では映し出されることも)。クレーコートでは土の上に球跡が残り、判定に異議がある場合は主審に球跡の確認を要求する。主審が審判台から駆け寄ってチェックしライン際を指さす姿は、ロランギャロスならではのハラハラする光景だが、ビデオを採用しなかったのは跡が残るからだけではない。

撮影:真野博正

全仏に代表されるヨーロッパのクレーコートの材質はレッドクレーと呼ばれる赤土で、複雑な下部構造の表面はレンガを細かく砕いた赤い砂で覆われている。この砂が風や選手のプレーで動く。ウィンブルドンの芝も2週間の大会中に擦り減って、決勝戦のコートは開幕時とは別物になってしまうのだが、ロランギャロスの場合は試合中に砂が舞い、その砂の動きがライン際の電子判定を狂わせるとも言われる。それと同時に、そこには古典的な舞台設定で120年余り戦ってきたという歴史の風景、印象、人間味へのこだわりがある。

「コートからラインジャッジの姿が消え、時計とビデオ映像が支配するテニスになれば、まるでロボットのゲームのようだ。改革は必要だが、果たしてそれが唯一の選択肢かどうかは、十分に検討する必要がある」

地元のジャーナリストの感想だ。

日本の国際審判員に尋ねると、こういう答えだった。

「電子判定に対して、私たちは何も反論できません」

検討はされても、ロランギャロスで主審が審判台を降りてボール痕を指さす風景は見られなくなるだろう。また、ボールパーソンは継続して配置されるというが、廃止する試みも下部大会では行われている。さらにITの導入で、主審の存在すら不要になるかもしれない……。判定は厳正でなければいけない。しかし、理詰めの追求によって失うものもあることを、もう少し論議した方がよいのではないか。

バナー写真:真野博正

トップに戻る