REVIEW

映画・ドラマ・ドキュメンタリー評

映画「ドリームプラン」

2023.06.26 / 山口奈緒美(テニスライター)

最高級のアメリカンドリーム

どんなに偉大なアスリートだろうと、その親が、それまでまったくの無名だったにもかかわらず、これほど世界で認知されている例は稀だろう。テニスに携わる人々やファンは、のことを「ウィリアムズ姉妹の父親」などと呼ばない。「リチャード」。こう言えば、皆それがセリーナとビーナスの父リチャード・ウィリアムズのことだとわかるのだ。

リチャードは一個の強烈なキャラクターを持って娘たちとともにテニス界に現れた。かつてテニスなどとは無縁に生きていたリチャードが、アメリカ全土で最も犯罪発生率が高いと言われるカリフォルニア州コンプトンのスラム街で自ら指導した娘たちは、やがて世界ランキングの1位と2位を独占していく。白人が中心だったテニスコートで、周囲の戸惑いと驚愕を楽しむように彼らは闊歩した。

「ドリームプラン」(邦題)は、リチャードを主役に据えてこの一家の挑戦を描いた映画だ。まだ世界がこの黒人姉妹の存在を知らなかった時代の物語である。

アカデミー賞を受賞したウィル・スミスの迫真の演技

それはリチャードの野心から始まった。偶然にテレビで見たテニスの大会で、優勝したルーマニアのバージニア・ルジッチが受け取った4万ドルという額に衝撃を受けたのだ。警備の仕事などを掛け持ちしていた自身の年収を超える報酬を、たった一大会で手に入れた23歳の女子テニス選手の姿を見て、自分の子供をテニスプレーヤーに育てようと決意する。まだビーナスとセリーナが生まれる前、1978年のことだった。

再婚相手のオラシーンと、彼女の連れ子である3人の娘との生活を送っていたリチャードは、オラシーンに自分たちの子供を2人作ろうと持ちかける。そして、その子供たちを世界トップのテニスプレーヤーに育てるための遠大な計画書を作り上げた。

ギャングがはびこる荒れた日常の中で、絶望的な未来しか見えない現実から脱却しようとする黒人一家の執念と、その絆がストーリーを動かしていく。中でも、1960年代まで人種差別政策がとられていたアメリカ南部ルイジアナ州出身のリチャードの、逆転人生への欲望はすさまじかった。幼い頃から身体的・精神的に酷い傷を負ってきた男の人格を、本作で2022年のアカデミー賞主演男優賞を受賞したウィル・スミスが見事に演じている。

ウィリアムズ姉妹の父、リチャードを演じたウィル・スミス。野望に燃えて猪突猛進しながらも、どこか憎めないキャラを見事に演じきった

独学でテニスを学び、それをオラシーンに伝授して補佐させながら、娘たちをあるレベルまでは自分の手で育てたリチャードだが、そのままではプロへの扉は開けない。お金もなければコネもない彼が、名だたる敏腕コーチたちにどのようにアプローチし、計画を遂行していくか……その手口は強引だが、娘のためならどこへでも行き、なんだってする父親の行動力は痛快だ。

しかし、プロのコーチの手に委ねてからもうるさく口を出し、主導権を握ろうとするリチャードは、かなり厄介な父親でもある。一流のアスリートになるために必要なプロセスと、相入れないリチャードの子育てにおける信念。それらの激しい衝突と、その行方は見どころのひとつだろう。

娘たちにリチャードはしきりにオープンスタンスの重要性を説いた

コアなテニスファンをも満足させるクオリティ

そこで重要な役割を担ったのがオラシーンだ。独断的で身勝手な夫の欠点をフォローし、娘たちの心に寄り添いながら、ときに潤滑油に、ときに接着剤となり、家族を束ねていく。原題は「キング・リチャード」。一家が信仰するエホバの神の教えでは女は男に従順でなくてはいけないそうだが、映画は女たちのたくましさと忍耐、強さを描いている。

「昔、母さんが言ってたよ。地球上でもっとも強く危険な生き物は、考える力を持った女性だとね」

これは、リチャードがまだ幼い娘たちの自立心を養うために説く台詞だ。

ビーナスとセリーナはもちろんのこと、ウィリアムズ家の女たちは強い。3人の姉も妹たちのテニス生活を全力でサポートしながら、それぞれに弁護士や看護師やデザイナーといった職を手につけた。テニス界で異端だったビーナスとセリーナを守るように、いつも傍らにいた母と姉たちのオーラはプロツアーでも際立っていたものだ。あの迫力が形成された背景もこの映画から窺い知ることができる。

「これはテニスの映画じゃない。家族の物語であり、信念、愛情、勝利の物語なんだ」

ウィル・スミスはそう語っている。しかし一方で、テニスの映画としてもテニスファンを十分に満足させる内容だ。ビーナスとセリーナ本人がプロデューサーとして製作陣の中に加わっているだけあって、劇中のプレーレベルは高く、再現シーンも本格的。登場する数々の名プレーヤーたちは誰もかれも本人によく似ていて、少女時代のセリーナやビーナスとの交わりはコアなファンほど興味深く見ることができるだろう。

クライマックスは14歳のビーナスのプロ・デビュー戦。ラストシーンは爽やかで愛と夢に満ち溢れている。あれから28年余り、姉妹は合わせて30個のグランドスラムのシングルス・タイトルを手に入れ、キャリアで1億3722万ドル(2023年5月31日現在)の賞金を獲得した。スポンサー料はその10数倍にのぼるだろう。富も地位も名誉も手にし尽くし、特に妹のセリーナは史上最高の女子テニスプレーヤーと謳われる。

映画には事実と食い違う箇所が多々あるとか、都合よく美化されているといった指摘も確かにあり、現実のリチャードとオラシーンは2002年に離婚している。しかし、リチャードを突き動かした最初の動機を思い返せば、やはりこの物語は、想像をはるかに超えた最高級のアメリカンドリームを描いた実話であるといって間違いはない。

ビーナスとセレナの少女時代を演じた二人はプレーシーンでも違和感を与えないアスリートぶりを見せた

 

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発売元:ワーナー・ブラザース ホームエンターテイメント
販売元:NBC ユニバーサル・エンターテイメント
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