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加藤未唯の失格騒動から繙くグランドスラム「失格の歴史」

2023.07.03 / 山口奈緒美(テニスライター)

全仏オープンでの加藤未唯(みゆ)の失格騒動は、ネットのみならずテレビの情報番組などでもしきりに取り上げられ、日本の世論を巻き込んで日に日に大ごとになっていった。

女子ダブルスの3回戦でポイント間に加藤が相手コート後方に向けて打った球が、ボールガールの首の辺りを直撃。故意にやったわけではないし、女の子もケガをしていないということで、主審は最初警告を与えただけだったが、相手ペアの抗議が収まらなかったため、大会レフェリーとグランドスラム・スーパーバイザーが出てきて、最終的に加藤とインドネシアのアルディラ・スチアディのペアに失格が告げられた。結果を考慮せずにボールを打つことは危険行為とみなされ、それが実際に重大な結果を招いた場合は失格対象となる。少女が泣き続けている状況から、事態は深刻と判断されたのだ。

失格処分になるほど悪質だろうか……多くの人がそのような感想を抱いたのは無理もない。 国内外ともに、失格までの過程を疑問視したり、対戦相手のスポーツマンシップの欠如を非難したり、最終判断に関わった大会オフィシャルを批判したりと、加藤を擁護する意見が大勢を占めていた。

世界のテニス・レジェンド……たとえばグランドスラム優勝18回の元女王マルチナ・ナブラチロワも、失格ではないかと執拗(しつよう)に訴えた相手ペアの言動に苦言を呈した。その類いのコメントを日本のメディアはよく引用したが、逆に「失格で当然」という声はほとんど紹介されていない。

ウィンブルドン史上初の失格者となったヘンマン

元世界4位で大会中はユーロスポーツのコメンテーターなどを務めていたティム・ヘンマンは、こんな見解を示している。

「不注意の責任はとらなくてはいけない。たとえ相手側にボールを送ろうとしただけでも、だ。実際はバックハンドでバシッと打っている。あれは軽率だった」

「悪意がないことはわかっている。でも彼女が打った球がボールガールに当たったことは確かで、女の子はとても動揺していたし、辛そうにしていた。その様子から、主審やスーパーバイザー、レフェリーは厳しい判断を下さざるをえなくなったんだ」

紳士的なイメージのヘンマンだが、実は若かりし頃に失格の経験がある。しかも自国のウィンブルドンで、大会史上初めての失格者となったのだ。 1995年のことで、当時20歳のヘンマンはまだ世界ランク174位だったが、印象的な事件だった。

ダブルスの1回戦。ヘンマンは自分のミスに腹を立て、相手コートの隅の方を狙って思い切りボールを打った。すると、ネット際のボールを拾おうとして急にネットを横切ったボールガールの頭に直撃してしまった。ボールガールは泣き出し、トーナメント・ドクターも呼ばれる状況の中、レフェリーから失格を言い渡されるまでに長くは要さなかった。翌日、ヘンマンは花束とキスで少女をなぐさめ、幸いそれ以上の深刻な事態にはならなかった。

ティム・ヘンマン(1996年ウィンブルドン)撮影:真野博正

ちなみに、オープン化(1968年の全仏からプロの出場が解禁になった)以降のグランドスラム全大会での失格者はヘンマン以前に2人しかいなかった。1990年全豪オープンのジョン・マッケンローが第1号で、もう一人はヘンマンの約1カ月前の全仏オープンでのカルステン・アリエンスというドイツの選手である。マッケンローは線審に対する恫喝や乱暴なラケットの扱い、スタンドで泣いた赤ん坊の親を怒鳴るなどの行為で警告が3度に達し、その悪質さに主審はゲーム没収ではなく失格を言い渡した。失格までの警告数が4から3に変わったことをマッケンローは忘れていたという。全盛期を過ぎていたとはいえ、スーパースターの4回戦での失格にスタンドは大騒ぎとなった。

過去の失格の事例

ヘンマン以降も、グランドスラムでの失格者は片手で足りるほどで、女子は一人もいなかった。ボールキッズが被害者となった失格はヘンマンと加藤以外に1件だけだ。2000年の全仏オープンで、オーストリアのシュテファン・コウベクが自身のベンチに投げたラケットがボールボーイに当たり、あと1ゲームで負けというところで、それよりも不名誉な失格となった。また、フラストレーションから無謀に打ったボールがラインパーソンに当たった例としては、20年のノバク・ジョコビッチが記憶に新しい。史上最強とも謳われる王者でもこうして失格になる。

なお、一口に失格と言っても、続行中の試合そのもので失格になってコートを去る者もいれば、試合後に失格となり、出場禁止の罰則を受ける者もいる。

たとえば、2017年の全米オープンで、癇癪(かんしゃく)持ちで知られるイタリアのファビオ・フォニーニが女性審判を卑猥(ひわい)な言葉で罵(ののし)ったらしく、その試合に負けた3日後に失格が決まった。その間にダブルスで3回戦まで勝ち上がっていたが、その賞金も没収となった。

また、時は遡ってウィンブルドンでヘンマンが失格になったときの対戦相手だったジェフ・タランゴは、その数日後に自身のシングルスでとんでもないことをしでかした。与えられた複数の警告に腹を立て、自ら試合を放棄してコートを去ったが、その際に主審を侮辱し、妻まで出てきて帰り際の主審に平手打ちを見舞った。記者会見では、その主審が特定の選手に有利な判定をしていると不正を訴え、正当性を主張したが、翌年のウィンブルドン出場を禁じられた。

失格を判断する合理的なルールとは?

こうして失格の歴史を繙(ひもと)けば、どれも相当に悪質で、今回の加藤のように不注意が原因のケースは、グランドスラムのみならずツアーでも見当たらない。つまり、よくあることのようで、実はよくあることではないのだ。試合中の感情は時に抑えられないものだが、子供にボールをぶつけないということは、プロのテニス選手の技術があって当然の注意を払えば防げるからではないだろうか。

もちろん、注意不足でボールをぶつけてしまっただけの事例ならあっただろう。しかし、悪質性がなく、当たった本人も無事で、対戦相手も納得していれば大きな問題にはならない。そういう意味では今回の加藤は不運だったが、このような不運と幸運は常に隣り合わせだ。怒りで観客席に打ち込んだボールや、投げつけたラケットが危機一髪で人に当たらず、警告で済んだ幸運なケースはいくらでもある。グランドスラムでは20面ものコートで同時に試合が展開され、その中でさまざまなことが起こっているのだ。個別のケースの過程や性質をいちいち検証するのではなく、結果の重さで判断するというルールは合理的と考える。

最後に、過去の失格例の中でルール変更のきっかけにもなった異質のものを一つ紹介したい。1995年全米オープンの松岡修造に起こった悪夢のような失格劇だ。後に全豪オープン・チャンピオンにもなるペトル・コルダを相手に、勝利も見えていた第4セット終盤、両脚の痙攣(けいれん)に襲われた。当時のルールでは、痙攣は肉体疲労の一種であってケガとはみなされず、チェンジエンドの90秒間以外で処置を受けることができなかった。誰かが体に触ればその時点で失格となるため、誰も助けることができず、松岡は一人コート上に倒れたままもだえ苦しんだ末、結局制限時間を超えて試合を遅らせたことにより失格となった。途中棄権との見方もあるが、当時の認識としては失格負けだった。

あまりにも無情なその光景から、痙攣でもメディカルタイムアウトを要求できるようにルール変更され、「シュウゾウ・ルール」と呼ばれたが、2010年に再び厳格化された。痙攣と称しての時間稼ぎ等、ルールが悪用されるケースが目立ってきたからだ。痙攣で治療を受ける場合、ゲームの途中ならば次のチェンジエンドまでのポイント及びゲームを放棄しなくてはならなくなり、そのルールは現在も生きている。

加藤の騒動の中、あれくらいで失格になるルールはおかしいなどという声を随分聞いた。しかしテニスの伝統、魅力、その歴史を踏まえれば、そう簡単に批判できるものではない。長い年月の中で完成されてきたルールには、一つ一つ確かな理屈と尊厳があるからだ。

バナー写真:全仏オープン女子ダブルス3回戦で加藤未唯(左端)の返球がボールガールに当たった問題で協議をする審判と大会関係者(中央)。左から2人目は加藤とペアを組むアルディラ・スチアディ June 4, 2023. Photo by Kyodo News via Getty Images

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