REVIEW

マッチレビュー

「極私的メモリアルマッチ」第1回  セイコースーパーテニス1990決勝 イワン・レンドル対ボリス・ベッカー

2023.06.26 / 長池達郎(テニス偏愛編集者)

世界ランク2位と3位ががっぷり四つの激戦:渾身のショットの応酬に東京体育館が沸いた

本企画は筆者が長年、録画したり購入したりして蒐集したテニスの試合のビデオを引っ張り出して振り返るというもの。その試合の歴史的重要性だとか意義だとかはあまり深く考察せずに、あの試合はこうだったとゆる~く回顧します。

世界ランク1位の行方を占う一戦

記念すべき(?)第1回は、セイコースーパーテニス1990の決勝、イワン・レンドル対ボリス・ベッカー。なぜ、この試合? それは筆者がベッカーのファンだったから――。1985年にベッカーが史上最年少の17歳でウィンブルドン制覇を果たした頃、私はテニスにどハマりしていて、彗星のように現れた若武者ベッカーに衝撃を受け、ベッカーに感化されるやサーブ命!でサービス&ネットを追求。テレビ観戦ではもっぱらベッカーを応援。ラケットはプーマの「ボリスベッカースーパー」に憧れたことも。試打してみたら意外に重く(345g)、扱いが難しいラケットで使用は断念したが--。

 それはさておき、その昔、セイコースーパーテニス(TBS放映、以下、セイコースーパー)という男子テニスのトーナメント大会があった。1978年から95年まで、10月中旬から11月初旬頃に、主に東京体育館(改築工事中に代々木体育館で行われた年もある)で行われていたインドアコートの大会。出場して得られるポイント(1990年は優勝者に230P付与)も、優勝賞金(同優勝賞金が12万2700ドル)も割と高かったこともあり、錚々(そうそう)たる選手が出場。歴代優勝者には、ビヨン・ボルグ、ジョン・マッケンロー、ジミー・コナーズ、ステファン・エドバーグ、イワン・レンドル、ボリス・ベッカーらビッグネームが名を連ねる。そんな世界的スーパースターの真剣勝負を毎年、国内で観られたのは、日本のテニスファンにとっては至福の時代だった。

SEIKO SUPER TENNIS 1990決勝が行われた東京体育館。手前がレンドル、奥がベッカー 撮影:真野博正

そんな素晴らしい大会を毎年、楽しみにしていた筆者にとって、1990年のベッカー対レンドルの決勝は特に思い出に残る一戦だった。当時、22歳のベッカーは世界ランク2位、30歳のレンドルは3位。トップをうかがう勢いの若きベッカーと円熟味を増すベテランのレンドル。好対照な2人の決勝は多くの注目を集めた。初の世界ランク1位に手の届くところまで来たベッカーと、8月に1位の座をエドバーグに奪われたものの王座復帰は十分射程圏内にあったレンドルにとって、本大会のタイトルは大きな意味のあるものだった。

大方の戦前の予想はベッカーやや有利。それまでの対戦成績は8勝8敗と全くの五分だったが、セイコースーパーで使用されていたサプリームコートは超高速サーフェスで、ビッグサーバーのベッカーにやや有利とされた。レンドルは「このサーフェスは私には合わない」「好きではない」と公言していた(とはいえ本大会の83年と85年に優勝している)こともあり、ベッカー優勢の声が多かった。

決勝の放送では、福井烈氏が解説を務め、他にも本大会に出場し、1回戦のマーク・ウッドフォード(オーストラリア)戦で左足首を捻挫し敗れた松岡修造選手が特別ゲストに加わっている。戦前に勝敗の予想を問われた松岡は「前の週に優勝しているし、ベッカーが少し有利。レンドルが65~70%以上の1stサーブの確率になれば全く分からない」とサーブがカギを握ると語った。

選手関係者席には、ベッカーのコーチ(当時)のボブ・ブレット、レンドル夫人と幼い愛娘、そして1回戦でベッカーと対戦し、惜敗した後、準決勝、決勝前のレンドルのヒッティングパートナーを務めた辻野隆三選手の姿も。

この試合、どちらが勝っても3回目(ベッカーは86年と88年に優勝)の優勝。お互いのことも、この大会、このサーフェスのことも知り尽くした二人の対決は、ベッカーがコイントスで勝ってレシーブを選択、レンドルのサービスで幕を開けた。レンドルはラケット、ウェア、シューズ、すべてミズノ。世界ランク1位に長く君臨し続けたテニス界の絶対王者が日本のメーカーと契約していることは、当時、素直にうれしかった記憶がふと甦る。

サーブの出来が明暗を分けた第1セット

第1ゲームはレンドルのサーブが好調で、ゲームポイントでのサービス&ネットを含め2回ボレーを決めて、あっさりキープ。順調な滑り出しを見せる。決して積極的にネットに出るタイプではないレンドルが2度もネットに出たのは、速いサーフェス対策なのか、意表を突く作戦だったのか。いずれにしても、「はじめは様子見」という雰囲気など微塵も感じさせないスタートダッシュとなった。

第2ゲームはベッカーが「ブンブンサーブ」を繰り出し、センターに190km/hのノータッチエースを決めるなど、こちらもサーブは好調で難なくキープ。両者共に順調なスタートを切る。

ベッカーのサーブを何年ぶりかでじっくり観察した。トスを上げた後、深く膝を曲げ、一瞬、ピタッと止まる動作が懐かしい。と同時に「こんなに(背後のTVカメラに左胸もしっかり見えるぐらい)上半身を捻っていたっけ?」という再発見(?)も。大柄(191cm)でバネの効いた身体が生み出すパワーとスピード、サーブ&ボレーのみならず、アプローチやリターンでも果敢にネットに詰める攻撃的で多彩な攻め、若きベッカーの躍動感あふれるプレーは今も魅了される。また、レンドルの肘を大きく後ろに引く独特のテイクバック、腕のしなりと手首のスナップをきかせたフォアハンドのストロークにもノスタルジーを感じた。

ダイナミックなフォームから繰り出されるベッカーの強烈なサーブは「ブンブンサーブ」とも呼ばれた 撮影:真野博正

試合が動いたのは第3ゲーム。積極的にネットに出てプレッシャーをかけるベッカーにミスショットを誘発され、レンドルはブレークを許す。その後、ともに1ブレークずつ獲得し、第1セットが決したのは第10ゲーム。5-4で迎えたベッカーは0-30と先行を許しながらも逆転してサービスキープ。このセットを6-4で取った。

この第10ゲームでは、1stはもちろん2ndもベッカーは全てサーブ&ボレーを敢行。コースは全てレンドルのバックサイドに集め、ボレーも全てレンドルのバックサイドに深く返す徹底ぶり。セットのかかったゲームということもあって両者のギアが上がる。ベッカーが時速204km/hのノータッチエースを決めれば、レンドルはベッカーの剛球サーブにバックハンドのブロックリターンでエ―スを獲得。ハイレベルなショットの応酬と駆け引きは非常に見応えがあった。

第1セットの明暗を分けた要因の一つは1stサーブの確率。第9ゲームの途中までのデータだが、ベッカーの1stの確率が61%なのに対し、レンドルは44%。1stの出来が影響を与えたのは否めない。

レンドルはマシーンのように正確無比なストロークで数々のタイトルを獲得した 撮影:真野博正

白熱する第3セット

第2セットは1stサーブの確率を上げてきたレンドルが6-3で取り返し、セットカウントは1-1のイーブンに。

第3セットは満員(約7350人)の観客のボルテージが一気に上がるほどの熱を帯びていく。今も昔も日本のテニス会場では、観客が声援やチャントを発することは少なく、静かに観戦するのがお定まりのパターン。しかし、この試合の第3セットでは、スタンドのあちこちから声が発せられ、観客の盛り上がりがビビッドに伝わってくる。

最終セットは両者共、1stが好調でサービスキープが続く。時速200km/h前後の剛球サーブを次々に繰り出すベッカーに対し、160~170km/h台ながらもセンターやコーナーのギリギリにプレースメントし、時にベッカーの裏をかくレンドル。第3セットはどちらもノータッチエースを量産し、第7ゲーム終了時点でこの試合累計のノータッチエースは共に13本に達するなど、ハイレベルなサーブの応酬となる。

ベッカーの5-4で迎えた第10ゲームは、ベッカーのリターンゲーム。ここでベッカーが仕掛ける。いきなりリターンダッシュを見せ、ボレーも決まりポイント先行。しかし、ここでレンドルは流れを渡さない。0-15から1stをコーナーにプレースメントし、浅くなったリターンをベッカーのバックサイド深くに押し込み、ネットに素早く詰める。ベッカーはロブを上げるが、ベースラインをわずかにオーバー。結局、このゲームはサーブの好調さもあって、レンドルは最初の1ポイントを取られただけで難なくキープ。このゲームで一気に決着をつけようと猛攻に出たベッカーと巧みな攻めでそれを封じたレンドル。二人の息詰まる攻防は緊迫感に溢れる。

会場のボルテージが一気に上がったのは第11ゲーム。ベッカーが立て続けに3本のノータッチエースを決めるも、レンドルが押し返してブレークポイントを握る。続くベッカーの1stをレンドルが強打すると、ベッカーがハーフボレーで返す。それをレンドルがサイドラインぎりぎりのパッシングショットでサイドを抜きにかかると、ベッカーが飛びついてボレー。ボールはレンドル側のコートに落ちてデュース。ベッカーが両こぶしを握りしめて雄叫びを上げると、会場は一気に沸く。その後、ベッカーはノータッチエースなどでキープし、6-5に。

第12ゲームはレンドルが40-15からキープしタイブレークに突入。観客にとって願ってもない展開となった。それまでおとなしかった観客からコールが飛び交う。レンドルはここに来て1stが絶好調。第12ゲームは全て成功。表情に自信がみなぎる。タイブレークはサーブの出来が大きく左右するだけに、サーブの調子が上がってきたのは、レンドルにとって追い風となるか。見逃せないクライマックスの予感漂う展開となった。

気迫と気迫がぶつかり合う終盤の激闘

タイブレークで先行したのはベッカー。1-1になってベッカーはリターンダッシュを仕掛ける。ネットをとったベッカーはレンドルの厳しいショットに飛びついてクロスボレーを決め、ミニブレークに成功。相手バックサイドのコーナーギリギリに押し込む深いリターン、パッシングへの素早い反応と鋭いアングルボレー。この一連の流れは実に芸術的。若い頃のベッカーは飛びつきボレーやダイビングボレーが「得意技」だったが、この緊迫した局面でも見事に決まり、会場をヒートアップさせた。

一方、レンドルも5ポイント目をミニブレークバック。フォアハンドから放った強烈なリターンがベッカーの足元を襲い、ベッカーのローボレーは球威に押されてアウト。このレンドルの渾身の一撃でベッカーの3-2に。

続くポイントでは、レンドルの逆クロスのストロークがわずかにサイドアウトし、ベッカーの4-2。続くポイントはレンドルがキープし、ベッカーの4ー3に。タイブレークに入ってからここまででレンドルの1stの確率が50%と、サーブの調子がやや下降気味。流れはベッカーに来ているように思われたが、ここからレンドルの逆襲が始まる。

レンドルは3-4から4-4に追いつき、続くリターンでもミニブレークに成功し、レンドルの5―4。これでレンドルが初めてミニブレークで一つリードとなり、逆にベッカーは追い込まれた。「窮状」を案ずるかのようにベッカーへの声援が飛ぶ。

この試合のクライマックスは二人の渾身のショットの応酬となった。ベッカーはサイドラインぎりぎりからラインの外に逃げていく、キレキレのスライスのアプローチショットでミニブレークバック、5―5に持ち込む。続くポイントはレンドルが回り込みフォアのパッシングショットでエースを放ち、マッチポイントを迎える。サーブ権が移り、ベッカーが2ndからサービス&ダッシュで怒涛の攻めを見せるが、今度はバックハンドのレンドルのパッシングショットが炸裂しゲームセット。最後はレンドルが両手を上げ、両膝を曲げてガッツポーズ。勝利の雄叫びを上げた。

終盤は正に気迫と気迫のぶつかり合い。お互いのエネルギーが最高潮に達し、激突した戦いとなった。この二人の試合はヘビー級ボクサーのタイトルマッチを彷彿させる。二人のラケットから発せられる重低音の効いた破裂音のような打球音は、インドアでは迫力が増す。また、終盤の激しいラリーとスーパーショットの応酬は相手を一発で仕留めようとするノーガードの打ち合いのようでもあった。

ネットプレイヤーを相手にした時のレンドルのバロメーターとなるのがパッシングショットの出来。最後の2本連続のパッシングはコースといい、球速といい、実に素晴らしいノータッチエースだった。レンドルはこの試合で独特の居合抜きのようなパッシングなど、随所に鋭いパッシングを披露してくれた。惜しくも優勝を逃したベッカーは前週優勝の疲れがあったのかもしれないが、レンドルの終盤の気迫あふれる渾身のプレーは「王者の威厳」を感じさせるものだった。

ベッカーは翌年の1991年1月に行われた全豪オープンの決勝でレンドルに雪辱を果たして初優勝、世界ランク1位の座に就いた。レンドルはその後、1位に返り咲くことはなかったが、92年と93年のセイコースーパーで優勝、晩年も日本で雄姿を見せてくれた。レンドルは世界的にみても成績に比した大きな人気を獲得した選手では決してなかったが、このセイコースーパーでの長年にわたる活躍もあって、今もレンドルに親しみを感じている日本のテニスファンは少なからずいるのではないだろうか。

セイコースーパーテニス1990決勝 1990年10月13日(東京体育館)
〇レンドル 4-6、6-3、7-6(7-5) ベッカー

バナー写真:勝利の雄叫びを上げるレンドル 撮影:真野博正

トップに戻る